高等商業学校

高等商業学校の6

高等商業学校の項で抜けていたような気がする「短艇部」付け加えておきます。 様子が分からなかったので松江から遠征したのだろうかと考えていたが、これは商業学校生徒の書いたものであるらしい。 隅田川のようである。えらく大仰な大会なのである。皇族ま…

商業高等学校その6

教育環境として図書室。 語学研修の一環としての英語会。読むことだけでなく実践の方も重視していると強調している。 要するに発表会を催して、財界教育界公使などを招待して有望な人材をごらんに入れる機会を供している訳だ。 自分としては図書館の方に興味…

商業高等学校その5

六千九百坪というのはどういう規模なのか、全然イメージがわかない。ご一新当時は神田区はどんな風景だったのか。どのような開発をしてこのような学校が設備されたのかと興味が湧く。商業学校と外国語学校が分離してるゆく過程にもいろいろな意図があっった…

商業高等学校その4

よって以下の如し(おいおい) 年次によってだんだん人数が少なくなっているというのは単なる偶然か? といいつつ専攻部の数の少なさはやはり意味があるにちがいない。 確実に30人から40人の減数があるというのはやはりそれなりの理由があるというべきか…

商業高等学校の3

「領事」とはどういう人だったっけ?大使館員?不勉強もいいところだ。 特質化した専門学校という位置になるのだろうか。最後の行にその答えがあるようにも思える。 修業年限が計4年となるとかなり本格的である。学科の内容を見る限り実践的なものが多そう…

商業高等学校の2

前回官吏の養成と書いたが、官吏とは限らないのかもしれない。広く一般の企業家を養成支援するためのものかもしれないと言う気がしてきた。 帝国主義の跋扈するこの時代、国力をあげるためには国内外でひろく活躍する企業戦士の養成が国家的事業として試みら…

商業高等学校の1

面白いと言えば面白い。面白くないといえば面白くない。 中学校の会報になぜ「高等学校」の説明が延々書かれるかというと、きっとカタログ的に情報源にされいるということなのだろう。ともかく、明治の有名人の名前はずらずら並ぶし、その沿革をみると明治時…