仁多地方行軍の15

今回が最終。またもや負け。10時半に勝敗がついた。それから午餐を食べ、有名な「駒返しの坂」を気息奄々となりながら越える。峠に立てば宍道湖まで見える眺望。現在の東出雲町の岩坂まで戻ったところで日が暮れた。
茶臼山に夕焼けの雲がかかっている。この山は古代から狼煙を擧げる所でもあり、またこの麓には国庁跡の遺跡がある。
7時に電燈の輝く松江市街に戻って来た。校門前にて帰還の校歌を歌えば学校のある赤山に響きわたる。

既にして敵の尖兵は、一斉に富田川の浅瀬を乱して徒歩し来り、岩倉寺の大木戸によせかくる。次で本隊の攻めよする勢又あたるべからず、我先陣に苦戦し。銃声どっと起る毎に、石磴に散りくる紅葉艶にして、白煙はつとそが間より上る。天の功妙はかかる時に於ても捨てられざるか。偶々敵の第二小隊長引野氏がふりかせる剣光すさまじく、部下を率ゐて太鼓?の我が軍にあたる。乃ち第一小隊退きて菅谷の叢中による。敵勢愈猛くして我先陣悉く敵の蹂躙する所となるを望みし、我中隊は眦を決して剣を揮ひ、本隊を督し全軍死力を以て敵に応戦せしむ。


天柱碎け地軸烈くるよと思ひしも此の時。しかも遂に如何ともする能はず、時は我軍弾既につきて、剣僅かに鞘あるのみ。伏屍丘を埋め、鮮血杵を漂はすかと思ふほどに、敵は蟠龍冲天の勢をもて、遂に我右側面を掠めて一斉に吶入しぬ。


閧声高く聞こえて我軍は、「残念。」の中に敵の服する所となりて恨を呑み了んぬ。あはれ茲に至て、富田城(註 とだーじょう)陥落の当時、尼子の諸将士が如何に万古の恨に腸を断ちしかを追想するの念深し。戦雪漸く収まりて乾坤復ひ舊の如く静かに、月山々容心からにや、我敗軍のために愁を送るが如し


時や正に十時半。柳散る川原の砂上に背嚢を卸して午餐を喫し、有志者寄贈の饗をうけ、三発の一斉射撃を行ふ。三百銃口一時に煙漲りて、あたり寞々、前山後川餘響は共に長し、日午小学生に送られて帰路につき、名にしあふ駒返の険坂を攀つるに、磊塊足を噛みて気息奄々、五歩に一休十歩に一息、辛うじて唇を漏るる軍歌に勇を支へられて、頂に達す。


松籟耳を払って、爽快の気豁然として起るに、顧みれば月山の古城址足下に雲を帯ひて、藍碧の色濃やかに、西碧湖の一部温乎として聳ゆる詳峯の隙にほの見ゆ。。須臾にして下る。路は珠奔玉走して流れゆく渓流に沿うて曲折し、谷を縫ひ山を匍ひ、油樹の落葉ざぐざぐと踏みつつ麓に着く。秋の西日を身に浴ひつつ、岩坂といふ所まで帰りつけば、暮雲茶臼山の一角に塞がりて、昏色きたる。


七時漸く電燈閃煌たる松江の市街に入る。嗚呼銃を三郡に荷なひて健脚よく日に数里を踏破し. ゆくゆく銃声剣戟戦を相交へて我等が脾肉の嘆癒ゆるを得、茲に再び凱歌を校の石門に歌へば、赤山々頭闇に震ふ。


(完結)