行軍記

仁多地方行軍の15

今回が最終。またもや負け。10時半に勝敗がついた。それから午餐を食べ、有名な「駒返しの坂」を気息奄々となりながら越える。峠に立てば宍道湖まで見える眺望。現在の東出雲町の岩坂まで戻ったところで日が暮れた。 茶臼山に夕焼けの雲がかかっている。こ…

仁多地方行軍の14

戦闘に休日なし。翌朝6時には起床。 ここは尼子氏の居城、攻防の拠点、すなわち有名な古戦場である。8時に第一中隊が陣地を構えるために出発した。 9時に敵の尖兵が姿をあらわした。即ち富田川の堤上である。いよいよ戦闘の開始。 (7) 二十七日、 六時…

仁多地方行軍の13

今回の行軍で一番辛かっただろうと思われる件である。 現在の地図を見ると近くの山中には現在ダムがいくつか築かれているが、布部ダムというのがあるからこの附近のことだろう。今そのダム周辺を車でまわってもかなりの山奥だというのが了解できる。 このこ…

仁多地方行軍の12

しばらくは横田の平原をあるいた。秋の紅葉は今も昔もこのあたりを名所としている。風景の見事さに歌も口からこぼれだす。山にわけいったところで天候が急変した。必死の思いで峠を越えると、そこには青空がひろがっている。まさに秋の空である。11時に亀…

仁多地方行軍の12

合戦の状況もさることながら、この負傷した生徒は失明したのではないかと答えの解らぬ疑問に頭を悩ませている。いずれにせよ、とうの昔にこの模擬戦に参加していた人々はすべて黄泉の世界へと旅立っているのはまちがいない。 勝敗はどちらともいえなかったよ…

仁多地方行軍の11

26日、今日も時雨。うらめしい。 6時に起床喇叭が鳴る。友は、今日こそは敵に一泡ふかせてやるとやる気満々用意に大騒ぎだ。 第二喇叭で本部前に整列。雨はやんだがどんよりした雲がたれこめている。7時に第二中隊が陣をかまえるために出立する。第二中…

仁多地方行軍の10

11時半日の谷(樋の谷?)の峠を超える。ここに茶屋があったらしい。 12時腰をあげて更に進む。ようやく三成(みなり)に着き茶菓の接待を受け馬木川に沿って行く。 ここに書かれた「絲原」氏は鑪(たたら)製鉄を営んでいた。現在「絲原記念館」があるは…

仁多地方行軍の9

雨はやんだ。虹が出たか。 あぜ道を三百人の生徒が行軍するさまは壮観、村人が口をあけて茫然としてみるのを見返して可笑しい。険しい山道にいよいよ入る。谿川に沿ってのぼってゆくきつい山道である。軍歌で士気を鼓舞しながらゆく。熊よけにはなったことだ…

仁多地方行軍の8

漢文特有の大袈裟な表現も本気かどうか判断し難い。 「双の眼に鮮血迸る」とは、修辞か否か。血圧大丈夫ですか?眼が充血してます? などと冗談言ったらブン殴られる世界であることは確か。ともかく戦闘は終り休戦の喇叭が吹かれ、負けました。 七時半から9…

仁多地方行軍の7

以下戦闘の詳細。戦闘準備完了、敵をまちかまえるところに黒い人影。あれは敵か、いや「野次馬」かとひそひそ会話をしている姿を想像して可笑しい。稲を架ける稲架がまだ分解されいていないらしい。流石に稲は掛けてないだろう。出雲地方の「はで」(はぜ?…

仁多地方行軍記の6

25日 起床ラッパの音が響き渡る6時。小雨が降っている。 寺領という山村を陣にしての演習がはじまる。どうも守るに不利な地形であるとおもわれる。 苅田の中にぽつんぽつんと森が見える。ここまで見渡しが良いと攻める方も盾にするものがなく丸見えである…

仁多地方行軍の5

川を隔てて両軍がにらみ合う。援護射撃を背負いつつ川原に降り立ち、川を渡って敵の本隊を攻撃。本陣に突入したところで休戦のラッパが鳴る。 そんなに容易に川を渡れるのかと思ったがよく考えると、現在の様に護岸が成されているところの方が少ないと思い至…

仁多地方行軍の4

以下戦況の記述。なかなか勇ましいのである。 敵は木次町附近、味方は里方村に本陣を置くと知れた。筆者は中隊長の傍らに居るが記録する暇もない。敵は白帽子、味方は黒帽子である。六百メートル先の木次土手のあたりに敵が展開する。銃の射撃、白煙があがる…

仁多地方行軍の2

行軍記の本文はじまり、はじまり。 校旗を掲げて行軍を開始する。尋常中学校は松江城のある市街の北方丘陵にある。馬場がどこかはよくわからぬが、その附近から出発したと考えることができる。 早朝七時に出発、さすがに軍事訓練の一環ならば以前紹介した「…

仁多地方行軍の3

宍道湖畔に沿って走る現在では9号線にあたる道を、左折=南下していよいよ山の方へと進む。9時半玉造村に到着、ここで送って来た1、2年級の生徒と別れる。 ここから本格的な山の中に分け入り、大原郡大東町勝田坂にて迎えの大東小学校の生徒と遇う。大東…

仁多地方行軍の1

さて実施は、10月24日秋風の吹く頃である。 1、2年級は見送りを兼ねて玉湯町まで一緒に歩いた。 今回の行軍は3年級以上の生徒を2つに分けて中隊となす。模擬戦は白帽子と黒帽子で目印にした様子である。 中隊>1、2小隊>1、2分隊 という組織に…

仁多地方行軍

しばらく行軍記を記載する。松江市街から玉造を通り木次(きすき)、大東(だいとう)、横田町、現在は安来市となっている広瀬を経由して帰途につく。銃を担い、数カ所にて模擬戦をおこなっている。 以下の文章は雑報に紹介された要約である。地図を見れば要…