ミステイック・リバー

ミスティック・リバー (ハヤカワ・ノヴェルズ)

「ミステイック・リバー」    デニス・ルヘイン 早川書房  ISBN:4155752083662  C0097

半分ノアールに足をつっこんでいるミステリー。


人生はダンスホールに似ている。無数のカップルという障害物の間を避けながら軽やかにステップを踏む。群舞の中、何かの拍子に踏み出す足を間違えた瞬間、ある一人ののダンスは狂い出す。
一糸乱れぬ流れの中で一緒に踊っていた仲間だった筈のカップルがぶつかってくる。ドン!「何やってるんだ下手っぴ」
驚いてよけた先のカップルの足に踏まれる。「いい加減にしろ」
罵られ、こづかれて、うちのめされた彼は立ち尽くす。いつの間にかパートナーはいなくなっている。音楽はもう彼の耳には届かない。


そんなお話なのですが(本当かよ)、そういう救われない展開なのになぜか気分が最悪にならないのは、ジョーの妻の台詞のせいですかね。「あんた、人生はそんなものよ。それがどうした」みたいな。
「おまえは帰ってこなければよかったのだ」という独白は、言われる側にとってはこよなく残酷なもので、しかし真実をついている。映画ではどういう設定になっているのか、ちょっと興味があります。


ミュージカル映画「アニー」をちょっと眺めておりました。アルバート・フィニーが、ユル・ブリンナーみたいに頭をつるつるにして扮する大富豪。さすがシェイクスピア俳優、滑舌よし、声の通りよし。


ミュージカル映画全盛期の歌って踊ってという典型の映画でしたが、自分が年を取りすぎたらしい。楽しめない。最高傑作という由来は納得できる。ただ、自分には台詞がものすごい「風刺」に聞こえてならない。そういう「意図」はない筈ですよね。数日前これもちょっと見てみたミュージカル映画「プロデユーサーズ」の挿入劇(レビュー?)「ヒトラー」は似たような感じでいわく言い難いような「感情」を呼び起こしました
そこのところをつきつめて考えるためなら最後までみるべきだったのでしょうが。


上段の物語の比喩で言えば、「アニー」はそのダンスホールの壁際にたってダンスを眺めている側です。決して踊りに加わる事の出来ない。というよりそもそもホールの中に入ることもできないか。それが「一週間」と言う期限で、ダンスに加わる。才覚でその世界へと乗り込んでゆく、その讃歌。


そのどこが「面白い」のか、そのどこが「素晴らしい」のかという疑問があたまから抜けない。楽しめない。屁理屈つけなきゃあ楽しめない大人になっちまったと思いながら。(大人どころか熟年…)同じくその伝で「麗しのサブリナ」を最後まで見続けられなかったのは残念ではあった。