なんと少ししか覚えていないことだろう

何と少ししか覚えていないことだろう―原子と戦争の時代を生きて  石の血脈 (集英社文庫)


石の血脈」  半村良 ハヤカワ文庫JA23 197

「何と少ししか覚えていないことだろう」原子と戦争の時代を生きて オットー・フリッシュ 吉岡書店ISBN:4842703121 C1042



昭和の匂いのする本格派SF。検索したら「伝奇小説」とあったけれども、なあるほどここから京極夏彦という作家への流れも感じられる。それにしても古びていないところがすごい。
西村寿行読んで懲りてしまった自分なので「伝奇」と気付いていたら多分読まなかったわけであるが、どうも頭の中で「眉村卓」とごっちゃになっており、どちらかというとジュニア向けのSFファンタジイと思い込んでいて、読み出してのけぞった。濡れ場の連続なんだもの。こんなもの純情な青少年(んなもの居るのか?)には読ませられない。
で、濡れ場をすっとばしたがそれでも本当に面白かった。いやあ、名作です。いちどは読んでみたいSF?のひとつ。日本人でこの時代にこんなすごいの書いていた人が居たのかと感動。
手に入れたのは筋金入りの古本屋で、ISBNなぞなかった時代の昭和50年刊行で絶版ものでしたが検索してみると角川書店で復刻している様子です。そりゃそうだわな。これほどの作品だもの。


「何と少ししか覚えていないことだろう」
まさに現在の自分も同じ感慨をもつわけでありますが。さてこの自伝の著者は実験物理学者で、核分裂関係の理論を実証しうる計器ほかを自作し実験すると言うタイプのひと。
その過程で核融合核分裂をつかって原子爆弾を製造しうるということに気付き、結局米国のロスアラモスにたどりつく。
そして第一回核爆弾の実験の成果をその眼で見届けている。
ナチスドイツの人種迫害によって当時第一級の科学者医学者が続々とアメリカへと移住していたが、彼もその一人。
ファイマン自伝なんかを読んでいて、このひとたちの語りには妙に突き抜けたような「あかるさ」を感じてしまい何故だろうと言う気がしていたのだが。今回ちょっと判ったような気がする。
当時の人々は「死と隣あわせに生きていた」。日常的な空襲、抗生物質のない時代故に結核は致命的、X線が発見されたばかりで、細菌感染も明らかになっていないような時代。

いつ爆弾が落ちて来るかもわからない。ユダヤ系はいつ絶滅収容所い送られるかもわからない。物理が好きで学問が好きで、しかし明日生きている保証も住む国も亡い若者たちが頭脳だけを頼りに理論を極め「神の火」を自分の手で作り出した。その「創造の喜び」はなによりも大切なもので、それによって起ったもろもろのことはやっぱり別の次元のことだったかもしれないと。


明日生きている保証のない時代に産まれた人々に、百年後十年後の先の世界を見通す余裕があるか。
当時の若者たちに「目の前の焼夷弾と原爆とどう違う。戦争とはそういうものだ」と言われたとしたら、現在自分はなんと答えたらいいのかと迷うかもしれぬ。