第五日目の2

数日前に山陰線開通百周年記念の行事が始まって、いろいろ特別列車が仕立てられているという新聞の記事を見た。山陰線全線開通は明治40年代だったかと思うが、いずれにせよ庶民にはちょっと手の出し難い金額の乗車料だったようである。
尋常小学校もろくに通わずそのまま働きに出るのが当然の時代に中学校に通うことのできる将来を嘱望される階級の子息だって、そうそう「汽車」に乗るような贅沢の機会はなかったかもしれない。(そもそも汽車が走っていない場合もあるが)
というわけで、汽車に乗ってはしゃぐ心持ちは、いくら見栄を張って難しげな語彙を駆使しても隠せない。考えてみればまだ二十歳前の子供である。

多度津の埠頭についた。旅客の乗降と旅館案内の声の喧噪のなかをくぐり、「恵美須屋」旅館に荷物を降ろして午後から琴平神社へ向かう。
相変わらず雨はやまない。汽車に乗って10分足らずで善通寺村に停車、次の琴平駅を降りて延々とつづく石段を登りはじめる。

やや晴れし空の定めなくて又一しきり糸の如き雨も降りきたれり、行李を携えたる商人、妻の手を引く紳士、あ るは書生、あるは老爺喧々囂々埠頭に上りゆけば旅館の案内者が客を呼ぶ声喧しく聞えわたる、


我等もこの雑踏 を排してその名もめでたき恵美須屋といふに投し亭午装を更めて琴平神社に詣でんとす。さるを天公我に幸せず して空はいつ晴れるとも見えず、彼此する内発車の時刻ならむと、親切顔なる主人のいふ雨をつきて至る。



ゆく者、去る者、呼ふ声応ふ声、うるさくききぬけて汽車に投ずれば、汽笛一声瞬時にして停車場は既に数丁 の後にあり。窓を排するに雲霄はその頭角を現せる讃岐富士もいつしか雲に入りて、遠山近村飛ひ来り、蓑を着たる野翁もとべは、傘を携へたる村娘も走り、十分をはてずして善通寺村に少す。


迸る雨をうけて車窓より頭半を出せば、落々たる茅屋洋々たる青圃をへたてて、はるかな蒼翠雨を帯ひて将に滴 らんとする所、善通寺五重塔を見る。慧僧空海の呱声を揚けしところその古跡もまた多しときけとも我等はえ ゆかすして、只目的地なる方に向て直行す、


汽車もまた囂々として進み、右眄の間に琴平に着して我等を下しぬ。 之より直ちに雨はそぼちつつ琴平神社の霊祀に詣づ。此の社や幽静壮麗普ねく関西に鳴る、余も乃ち筆を更めで見えん。


琴平神社」(「」傍点)、仰けば象頭山頭濛雲低く垂れて僅かに琴平神社の甍角を見る、我等は泥濘をふみわけ霏々として降る雨にそぼちつつ石磴を拾うふこと数百、町人そが両側に家を建てて廛を張る、隣も隣より高く歩は一歩より上る。桜の馬場といふに至れば、左右幾千の石磴を以て充たりき、その下に列をなせる石標には金何百円何某と註せらる、数え来ればその幾万円なるを知らず。

今や春光漸く老いて道を掩ふ桜樹、花片空しく去りなんとし、既に散りし者も地にしきてそぞろ落花の嘆に咽ばしむ。敷石を踏むこと数丁、一大華表をすぎて賢木門を入れば、道は斜に左して老杉古松空を掩ふの間、點滴冷やかなる所に入る。


いくち世をへぬらむ垣の杉木立 神さひにけりいやさかにつつ