修学旅行

山口高校生来松

山口高等学校生が修学旅行にて松江を訪れた。どうやって来たのでしょうか。山口は山のど真ん中の盆地なので、日本海側に山越えして徒歩で出て舟できたのかしら。北前船の伝統がありますし。あちらの学友会雑誌があればそのところはっきりするでしょうね。山…

大仙行その6

今回で終了。 7時頃から思い思いに名和神社(なわじんじゃ)に詣でる。桜の花はほとんど終っている。 日本海を松林の向こうに見る。ここに住んでいた「名和氏」は後醍醐天皇?に関する歴史的要人のひとり。 8時半に名和を発ち、淀江尋常小学校にて昼食、日…

大仙行その5

大山村には軍馬養成所があるというが、ただ広いだけでなにもみえなかった。人間はいないし、皆ばらばらになって歩いたが路に迷ったようである。 先鋒隊をおくったのだが、船上山はみえるけれどどこにもみちがないという。みればなるほど取りつく島もないくら…

大仙行その3

どうも赤松村の赤松の池?を目指しているらしい。が、路がわからないので漸くであった車を引いた男に尋ねる。赤松の池には大蛇の伝説があって、こんなに大勢で行ったら大蛇が余程驚くだろうよと笑っている。 小道には荊や棘のある雑草が茂っていてうるさいの…

大仙行その4

第二日目である。大神神社に詣る。次に権現さま。残雪がまだかなりある。 「きりわけ」の偉観を見る為に河原へと降りてみる。この日は天気が良く弓ケ浜の向こうに島根半島まで見えたらしい。 大山寺近くの豪円山スキー場あたりから、天気がよければこのよう…

大仙行その2

どじょうすくい踊りで有名な安来の港をすぎて、10時に米子に着く。 これからは徒歩である。まず日野川を渡らねばならならない。今も何本か橋はかかっているがかなりの幅である。ちょうど大山を背景とした絵はがきが資料の中にあったのでこれは一種の名所な…

大仙行その1

さてまず出立のこと。4月14日である。朝が早いから宿に泊まったのかそれとも下宿なのかは判然としないが、4時起床である。多少曇っていたらしいが出る頃には好天のきざしが見える。しかし6時に集合となっているのに7時になってもまだ生徒があつまらな…

第十二日目

夜明けの霧をかきわけ頓原(とんばら)を発つ。午前七時には幽谷の入り口にたったがこれからが大変だった。昼尚暗いしかも胸まで草の生い茂る草の中を薮漕ぎしながら二里ばかり行くと神社が有った。 瀧へ行く路を聞こうと思ったが家すら無い。あっても廃屋で…

第十一日目

朝7時に三次を発つ。ここは霧で有名な所で、山に登って雲海をみるという観光名所でもある。渓流に沿って道が延びているのは現在の54号線とおなじく。日が昇り始めると汗が滴る。落合採鉄所での説明を11時に終え、昼食をしたため「赤名峠」にさしかかる…

第十日目

朝の5時に出発して、濃霧のなかをゆく。渓流に沿ってずっとゆくのだが、これらの渓流は水をあつめて最後は石見の國へ「江の川」(ごうのかわ)となって日本海へとつづいている。数年前お遊びで江の川水系をずっと車で溯って行った事が有る。まさに車でも一…

第九日目

七時に起床、食後直ちに第五師団司令部を訪問。丁度砲兵第五聯隊が練兵場で演習中?だった。日清戦争のことを思い出し感慨深くする。のち上流川町にある浅野公の泉邸を見学とあるが、ここはどこだろう?さて、いよいよこれから広島を出て帰途につきはじまる…

第八日目の2

行った事がないので、よくわからないがやっぱり今も廻廊には額がずらりと並んでいるのだろう。此の頃は漢籍、書も必須教養なのできっときっちり彼等は額に書かれた文字を読めたに違いない。 ここに居る神様の使いの「鹿」は奈良にいる鹿より優しいのだろうか…

第八日目の1

眠ったのか眠っていないのかよくわからないうちに夜が明けて、蒲団の中で雨が軒を滴る音を聞く。また雨か。雨戸を開けると襟元に落ちて来た雨粒が冷たい。彼方の薮陰に2、3軒の家の煙が、風もないのでかきみだされもせず立ち上っている。 9時草津に着き、…

第七日目

一夜明けて7時、汽船神坂丸に乗って呉を発つ。つぎは江田島の海軍兵学校の見学である。8時到着、教室ほかを見てから庭園のある丘にある会議室にて茶菓の接待を受けた。なかなかの眺望である。 午後1時に和船3隻に分乗して白帆を掲げて宇品港へ向かう。宇…

第六日目の2

パンパかパーン!今週のハイライト!(古いギャグだな) 待ちに待った「呉」である。「軍艦フェチ」の同級生がいるらしい。田宮模型を見る事ができるくらいにこの青年は長生きできただろうか。見たら卒倒したかもしれない。 昼飯を食べて昼寝をしているうち…

第六日目の1

うつらうつらしていたところに汽船が着いたとの知らせで飛び出す。夜中の3時である。「吉井川丸」にのれば、いつしか空は雨がやんで月が出ている。 甲板の上で軍歌を歌う者が居る。起き出してみれば夜明けである。見のがしたのを悔しがる友もいたくらいの見…

第五日目の3

延々と階段をのぼってようやく本社についた。池と大門と奉納所、旭社などをめぐったが、清少納言の塚は略した。雑踏の中を引き返し階段を下りる。雨がふりやまないので互いの傘がひっかかって苦労をする。ようやく3時半の汽車に間に合い多度津へ戻ったが、…

第五日目の2

数日前に山陰線開通百周年記念の行事が始まって、いろいろ特別列車が仕立てられているという新聞の記事を見た。山陰線全線開通は明治40年代だったかと思うが、いずれにせよ庶民にはちょっと手の出し難い金額の乗車料だったようである。 尋常小学校もろくに…

第五日目の1

夜の瀬戸内海をゆく。岡山市内から海側の三幡港に小船で出たのち、午前1時大阪から発した汽船「漢陽丸」に乗り換え朝までひた走る。「瓦斯灯」の光が影を落とす客室のなか鼾がひびきわたる。 目が覚めればすでに夜は明け、生まれて初めて見る瀬戸内海とその…

第四日目の2

5時に晩飯を宿で食べ、2時間待って船に乗る。雨が降り続けてかなり憂鬱になっている。船も満員で、「漕ぐ音」というから推進機がついている訳ではないらしい。肘枕に暫く熟睡し、三幡港で宿に仮寝をして、夜中に汽船に乗り換えることになる。昼間は動き、…

第四日目の1

翌朝は7時に起床、これからしばらく雨が降り続く日がつづく。 朝食のちに名園「後楽園」を訪れるがどうも彼等の美的感覚にはあわなかったらしい。こののち船に乗って「紡績会社」を2社見学している。 紡績会社といえば倉敷が有名だが、ここは「綿糸」を扱…

第三日目の2

今回はちょっとながい。岡山へ着くまでである。途中で蒸気機関車に出会う記述が有る。これは、どこらあたりだろう。 汽車を見て流れに棹さして下るだけの船は文化的に劣る心地がすると書いてあるが、現在だったらこのような川下りは貴重な経験だろう。 自然…

第三日目の1

この修学旅行記を初めて目にして驚いたのが、中国山脈の川を船で下って岡山に向かったというくだりだった。 当時宍道湖中海には汽船が交通の便だったが、まだ山陰と山陽をつなぐ鉄道は貫通していなかったようである。 かわりに船頭のあやつる川船が岡山まで…

五年級の修学旅行記 第二日目

二日目にいたりようやく中国山地の分水嶺をこえる。 午前6時に起床7時半に分水嶺にいたる。四月に入っても残雪をみたとの記述。旭川の支流に沿って今新庄をすぎ、美甘(みかも)、神代へと至り山中に岩壁をみる。午後4時に勝山を過ぎそれから小休憩、落合…

五年級の修学旅行記 第一日目

前回のは概要を書いた項だったが、これはその詳細となる「修学旅行記」の第一日目にあたる。 4月14日午前7時頃、汽船に乗って松江を出立した30余名は、同日大山に旅行する下級の学生とともに米子へ向かった。中海へ出た汽船は尼子氏時代に居城のあった…

五年級の修学旅行

明治時代の尋常中学校にも「修学旅行」という行事があったことを この雑誌を読んで初めて知った。以下は修学旅行の概要の記事である。 宍道湖から中海に出て米子に行き、そこから徒歩で山路をあるき中国山地の分水嶺を越えて舟で川を下って岡山へ。そこから…