大仙行その6

今回で終了。
7時頃から思い思いに名和神社(なわじんじゃ)に詣でる。桜の花はほとんど終っている。
日本海を松林の向こうに見る。ここに住んでいた「名和氏」は後醍醐天皇?に関する歴史的要人のひとり。
8時半に名和を発ち、淀江尋常小学校にて昼食、日吉津(ひえづ)で休憩米子に2時半。船の便を待って4時半に乗り松江に帰還する。
地名から察するに日本海沿いに道があったと思われる。現在淀江(よどえ)には弥生時代の遺跡を復元し歴史公園にした妻木晩田遺跡公園(むきばんだ)が有名。日吉津にはのどかな平野に忽然とジャスコが聳えている。

16日。晴、
7時頃よりおもひおもひに名和神社に参うづ馬塲一町余り、老桜左右より枝を交へ、間々点綴するは緑うるはしき柳樹を以てす、今少し早くかりしならむには如何に美はしかりけむを、今や概ね散りうせて、往々時めくは遅桜のみ、社内に入れは神気人を襲ひ、蕭然不知不識の内に容を正さしむ、

社殿はその規模偉麗ならすと雖と 打めくらす神垣巌にして、いと奥ゆかし、翠濃やかなる松林は其後にあり、風は枝葉を吹いて謖々琴瑟の調を発して快く、前にも立ち並ふ家々の棟こしに日本海が眺めらる、海波○緲遠く亘って千里、のへたる白帆水天髣髴の沖に輝きたる風光、凡骨為めに詩化せらる想あらしむ。


社の東側一基の碑あり、題するに「故伯耆守名和君之碑」なる九字を以てし、裏に文ありこれ左近衛権少将源朝臣慶徳の建つる処、人をして覚ろ当年を想ひて涙を催さしむ。


8時半同地を発す野景一様更らに云ふ可なし、ただ砂ほこりと日光の直射とにも歩行いと悩ましかりき、淀江尋常小学校に於て昼食、日吉津に休憩米子に着せしは2時半、船あらされは待つこと2時間許4時半の米子丸に乗し一声の汽笛と倶に煤煙一縷を残して出づ、
習々たる春風かろく吹いていとと快よく、日光は細波に砕け瀲? 舷を洗うて静かなり、顧みれは大仙は淡烟の内に巍然として高く悄乎として我行を送るに似たり。