大仙行その5

大山村には軍馬養成所があるというが、ただ広いだけでなにもみえなかった。人間はいないし、皆ばらばらになって歩いたが路に迷ったようである。
先鋒隊をおくったのだが、船上山はみえるけれどどこにもみちがないという。みればなるほど取りつく島もないくらいの崖の向こうである。しかしここであきらめてはならじと四人ばかりで強行軍となってみた。
ようよう川岸におりてはみたが、自分ながら良くこんな所に降りられたものだと思うくらいの難路だった。
山をみあげていたら「帰ってこい!」と騒がれる。せっかくの苦労が水の泡だと憮然として戻ったら、生徒200名全員集合していて遅れた自分たちはこっぴどくしかられた。なんて運が悪いんだ。
聞いてみれば今登りかけたのは隣の山だという。なんだあほらしい。
時刻も遅くなったので二時間かけて御来屋(みくりや)まで向かった。流石に足が痛くて休憩しながら歩き、着いたのは6時半、夕陽が沈みかけた頃だった。

コメント:しかられるのは当然。たびたび「脱走」しているし。教官はこんな生徒200人かかえて神経もたないだろう。

大仙村に至れは軍馬養成所あり、然れとも一頭の馬を見す原野は縹渺して際りなく、芝又芝、道を尋ねむとおもへど問ふに人なく、列は別れに別れ四分五裂のさまとなり、進むもの遅るるもの 東するもの北するもの等何れも迷はさるはなかりき、かくて行むこと数十町、姫小松生ひ茂り山上に四五輩の先鋒隊を見急き之に合すれは、彼等曰く「船上山は目前に高しと雖ども奈何せむ断岸削壁下るに由なく登るに術なし」と


ここに於てか余静かに岸頭に出てて眺むれは、其の言の如く、数百尺の断岸崎嶇として若し一歩を誤まらは、身も是れ?谺たる幽谷の下に粉砕する知るへきなり、河はそが下を流れて潺々声いと静かなり、余おもへらく今此処必らすや尋常一様の方策を以て降るはかたし、草を握り木に寄るに若し而して今登らむとする者一人たに見えす、いてや先登第一は吾試みむと、辛して下り始むるに傍の一人は亦吾を追うて下りけれは相倶に励ましてつつゆくほとに亦もや二人あり、乃ち合して四人の幾多 辛苦に倶をしつつ遂に下りて河岸に及へり、急端の岩に激して? 然雪花を飛はすさまいと清し、顧みれは險岸いとと危く我なからその冒険に驚きぬ、


仰げば登らむとする山は是れ亦峻、望みみてかたみにああと微嘯するのみ時に岸頭しきりに「帰れ帰れ」と叫ぶ声高やかなり、ここに於て面々不平の色あり、嗟々今にの千辛万苦は皆水泡に帰しぬるか、帰らさるへからさるかと、憮然として再び登れは二百有余の生徒已に教官の下に集まれるところ、ああ何たる不幸そや教官余等を見其乱行を叱するとは而して余等の登らむとせしは是れ船上山ならてそれに隣れる山なりとさへいへりうれたしや辛苦もあだとなりし愚さよ


時刻既に遅れたるを以て登山を見合せ、二時間御来屋に向ふ、足痛甚し、二三回の休憩しつつ彼の地に着せしは6時半、夕陽華やかに列り生ふ松か枝にかからむとする時なりき