金沢第四高等学校の3

この項で一番(自分としては)ウケたのはここの部分だった。最近の若い子ってブーツは履いても断じて「長靴」は履かない。余程の土砂降りでなければ傘を持ちたがらない。そこのところはいつの時代も同じなのだろうけど。
手織り木綿(絣の着物)を来て下駄をかき鳴らし、左手に竹刀、右に本を抱え込み(そういえばこのごろの子は大きな鞄は持たないみたい)、頭に「着傘」とはなんぞや?、ともかくかまやつひろしそのままの世界である。
というより「坊ちゃん」というべきなのだろうけれど。

ロンテンス、フートボールというのはどんなスポーツのことだろう。野球はこの時代既に熱狂的支持を得ていた様子がこの会報で証明されている。なにしろ実況中継を書いておられるので、ちくいち書き起こすのもなんだか不毛のように思われやっていないだけのこと。野球用語の変遷をみるのは良い資料とは思うのだけれど、自分自身余り興味がないもので後回しになっている。
では「旧制高校のなり」をごらんあれ。(中学の制服については別項に解説できそうなものがある)

又第四高等学校の運動の状況はいかにといふに、柔道最も盛にして、講道館流の奥秘を極めたる岩崎法賢氏その師範たり、柔道に次ぎ盛なるは撃剣及弓術にして、ベースボール又盛なり、頃日新潟尋常中学校生徒とのマッチに於て、新潟中学二に対する高等学校十九の大勝を得たり、以てその熟練の度を証するに足れり、


されどボート、ロンテンス、フートボール等の如きは一二の熱心者なきにあらざれども、全般は只寂として殆んど注目だにする人もなし、


余輩今金沢通信を終るに先ち、金沢地方青年の気風につき少しく論及する処あらんす、然るれどもその観察の当れるや否やは吾人の興り知る処にあらず、唯眼中に映ずるまま一二を摘出して以て諸君の参考に供す、


金沢地方青年の気風。
人若し日本帝国を代表する真の青年は果して何れの地にありやと問はば、吾人は金沢地方青年こそ其最もよき標本の一なれと答ふるに躊躇せざるべし、
何となれば粗暴に陥らず、優柔に流れず、勤倹尚武の風を尚び、よく日本青年の本領を尽すものは金沢の外他に多くその例を見ざればなり、
彼等身に手織木綿の短きを纏ひ、足には荒木造の厚歯下駄を穿ち雨中といえども蝙蝠傘を使用するもの少なく、多くは頭に大なる着傘を戴けり、又彼等が学窓に通ふの途次は、右に書籍をかひこみ、左に竹刀をぶらさげ、意気揚々として闊歩す、その状の頗る質素にして、且つ活発なること、吾人出雲國人士の企て及ぶ所にあらざるなり、


かく論じ来れば或は愛郷心に乏しとの譏は遁れざるべきも、吾人豈徒らに好んで故郷を貶するものならんや、唯事実にまま諸君に紹介し、以て彼小成に安じ酒色に耽溺するの輩を戒めんとするのみ、