高等師範学校の3

なにしろ立身出世が第一の世相の時代、公務員とはいえ地味に学生相手に教育を目指すというのはあまり夢見る世界ではなかったらしい。「教育者」と「学者」はちがうのだよ、充分りっぱなお仕事なんだからと力説せねばならないということ自体がそれを語っている。
高等師範学校は今回で終了。

之より学校の目的につき少々申すべく候。我高等師範は、其名示す如く、教育に従事すべき人を、養成する處に御座候。教育と申しても、中等教育の事に有之候。御存じに候はんか、教育は、商人に取りても、又、国家に取りても、實に必要欠くべからざるものに御座候。我國に於ては、小学教育は、稍整頓致し候へ共、中等教育に至りては、最不完全を極め居り、慨嘆の至りに存候。

そは兎にもあれ。茲に、諸君の御注意を請ひたきは、学者と教育者との区別に有之候。多分の人は、よく之を混合し、学者必ず教育することも、出来、教育家は学者なりと考え居り候得共、此両者は方面を異にせるものに御座候。かの菓子屋につきて申さんに、菓子屋は、餡の原料は、農夫に作らしめ、砂糖は砂糖商より、供給を仰ぎ候へ共、其材料を以て、菓子屋は種々なる形、種々なる味あるものを、製造致すに候はず哉、
之と同じく教育者も、専門学者と親密なる関係は有し居り候得共、性質異なるものに御座候。かく申さば、教育者は、深き学問なくても宜敷き様に、御考への諸君可有之候得共、教育者に、学問があればある程、教育的効果は、多きものに候ゆゑ、我校も、異日大学程度に改めらるる方針に有之候。


實に学者にも、教育者にも、夫々一流二流とあるべきものにて候得者、第一流の教育者は、第二流の学者より、中々尊敬すべきものに御座候。此の区別を知らざる多きに哉、従来我中学を卒業せる人なども、兎角大学に行かるるが、多き様に存候、勿論大学へも、行くべし、武官にもなるべし、実業家にもなるべし、各好む方に進むべきものには候得共、此教育界にも、身を投ずる諸君のあらん事は、實に渇望致居候。

高等師範開設以来、我島根県より、幾人入学致候かは申すも恥しき事に有之候。方便上より申しても、官費生として入学せば、比較的少き金を以て、相当なる智識を得らるる處にして、近来中等教育の学校は、切りに増設られ候得共之が教育の任に当る人、非常に欠亡致居候得者、諸君勇躍一番、献身的に、国家教育に従事せられんことを希ひ候、尚、かれこれ申上度事、山々に候得共、今年夏季、帰松の節に、譲り申候。