第三高等学校の1

今回からは京都の第三高等学校の紹介。京都帝国大学が開設されて間もないとは考えなかったので驚いた。
それにくわえて、有名な人物の名前が出て来るのでお楽しみに。

第三高等学校概況  在京都  校外会員 弧舟
(2号 50頁〜56頁)

京都神楽岡の西麓に当り、地は清閑の好位置を占め、湲潺たる鴨水を渡りて東向すること八町にして、宏壮なる建築物の集合するを見ん、これ幾千の健児が将来社会に立ちて一事業を成し、以て世を益し國に尽さんが為めに、専心一意修学に汲々たる所、其北なるは京都帝国大学にして中央に位するものは第三高等学校、其南なるものを京都府尋常中学校とす。


京都帝国大学は、昨年9月開校以来日猶浅く、校舎も旧第三高等学校の建築物を譲り受けたるに過ぎず、近来僅に図書館の増築を終りし迄にして、其他は将に着手せんとしつつあり、加之其組織上に於ても理工科大学中の土木、器械2科のみ設置せられ、学生僅に50余名に過ぎず、故を以て未だ詳細の報告をなすの必要なしと信ず、故に余は此を他日に譲り専ら第三高等学校の状況を報告せんとす。


抑も吾第三高等学校は其源を遠く大阪舎密局に肇め、其規模は大阪洋学校に基し、明治元年7月を以て起りしものにして、其後幾多の改称と幾多の変遷とを経て、明治19年4月第三高等中学校と改称せられ、其地を京都と定め、同時に文部省に於て第三高等中等校の設置区域を定めらる、


即ち当第三区は京都府大阪府兵庫県三重県滋賀県岐阜県鳥取県島根県岡山県広島県山口県和歌山県徳島県愛媛県高知県の2府13県(奈良県香川県設置の後15県)を包有せり、其後明治22年に至り、京都の新築校舎(自今の京都帝国大学)落成せしを以て此処に移れり、