第三高等学校の3

真偽はともかく、検証は他の方に任せるとしてこのような記述を見つけると儲けた気分になれる。
法螺を吹いたか、それにしてもそのような事をいわしめる可能性のある時代であったのだと考えると感慨深い。
新風党の騒ぎとは何なのだろうか。今であっては余りよくわからない。まだ攘夷気分の輩が居たのか、あるいは日清日露の戦勝気分に煽られたか。

本校の職員は学長以下52人の多きに及べども、半は専門部に教鞭を執らる、中には大学と兼務の人あり、何れもの専門の学士にして学識の該博なると教授の懇切なるとに有名なり、吾大学予科学生を府県別に大別すれば左の如し、以て其一般の傾向を見るべし。

一人宛   北海道、長崎、新潟、群馬、静岡、福島、福井、石川、大分、沖縄。
二人宛   兵庫、山口、福岡。
三人宛   三重、岐阜、岡山、香川、熊本。
四人宛   滋賀、島根、和歌山、佐賀。
五人宛   奈良、広島、徳島、高知、鹿児島。
八人宛   東京、愛知、愛媛。
十一人   京都。
十二人   大阪。


これより大学予科の各科目の教授に就て一言せむ。

英語 
1週7時間、訳解は1週2時間にして教科書は  Gems of English prose、藤岡文学士に依て教授せらる、其進歩は余り早からずといへども其解釈は詳くし、且文法上の関係及び文学上殊に注意すべき妙所は一層深く探究せられ、大に興味あり、

其他の5時間は米人ゑる、ゑるぜーんす氏に依りて教授せらる、即作文、会話、読方等にして、其人物の確固たる事、其学識の該博なる事、其教授の熱心なること、實に得難き良教師なり、
氏は目下年齢60年位にして、幼くして米国陸軍士官学校を卒業し、南北戦争の起るや、氏は砲兵大尉として あぶらはむ、りんこるん氏の下に働き抜群の功を奏せし人なり、当時有名なる米国大統領まつきんれー氏と幼時共に同一の学校にありて拉丁語(註 ラテン語?)を習ひしことありと、

其後明治の初年我国に渡来し、専ら英語を教授し、彼の神風党なる暴党の起りし時の如きは、氏は偶々熊本のありて教鞭を執りつつありしこととて、氏の身上は實に危険なりしが、幸にして命を全うするを得たり、
爾来一旦本国に帰りしが、再び我国に渡来し、京都及び鹿児島に行きて高等中学校の生徒を教授しつつありしが、昨年大学予科の設立と共に、氏は造士館より転任せるなり、其教授の如きは単に形式的に止まり無責任なる教授をなすことなく事々皆責任を負ひ、熱心を以て懇切に教へられ、特に氏が常に唱ふる如く、ぷらくてかる、いんぐりす
をして上達せしめんとし、開発的の方法を用ひ、時には氏の該博なる学識の意見及び氏が多年の経験等を論じ極めて有益なる教授を受くるを以て一同満足す。