琵琶湖遠征紀行の8

単純に考えても松江中学は短艇練習には稀に見るくらいの理想的な環境にあるわけで、強いのも当然ではあります。

なにしろ城山を巡る堀が中学のある丘の下迄延びて居り、艇庫から多分そのまま宍道湖まで簡単に出艇できた筈です。
もともと沼地とか低地であったものを城山の上の部分を崩して埋め立て作った市街には、縦横に水路が(多分水抜きの意味もあり)はりめぐらされているのが現在の地図を見てもよくわかります。
近年やたらと水路を狭くしたり暗渠にしてしまったせいで、大雨が降るとこの川や水路から水が溢れ出してしまう。今度は川を広げるとかいって大騒ぎしています。

先日枯れてしまって伐採された「船着きの松」?など市街のど真ん中。ここに家老屋敷があってお殿様が訪れるときに船をつける目印だったので此の名前がついたというくらいですから、まことに船には好都合なお土地柄なのでした。

九回終りて十回と成りぬこは第二中学とのレースなりしが島根二中は亦もや優に高知を抜いて重ね重ねの島根幸運!第十一回も終りしが数ふれば滋賀師範を除いては他に我校の先に出るものなし、又快也と叫ばざらんや。
第十二回は高知中学と義和倶楽部との慰競漕なりしが勝は義和の君の手に落ちぬ、斯かる輩こそ誠や敗して猶栄ありと云ひつ可きなれ。


第十二回終ればいざ名誉競漕!我校両選手が滋賀師範と戦ふの名誉ある競漕なり、されば我はこ度こそ注意すべき競漕にして選手の担へる校の名誉は亦之が為めに浮沈すべきなりと心に決して出発点に至りぬ、各々定めの場所に着きて号砲を待つのみなりしが亦も艇の後先になりしを正さに或時間を要したり、折しも順風の事とて艇は次第次第に流れるるも構はず「よし」と一発号砲は轟きぬされど其時既にスタートの四五メートル前に艇は並び居たり。


漕手は令せらるる儘に漕始めぬ、百!二百!艇は矢を射るよりも尚早く進み出てぬされど我は始終奉公団に後るる尺余なりき或時は又半艇も遅れぬ、第一選手は彼と並行に進む事三四百俄然彼の速力は増りぬ、同時に第一航路は疎水の流れ益々急なるを覚え来りぬ。