岸清一年譜の1

生まれはまだ年号が明治となっていない慶応年間。
卒業生の動静に「遊学」とあるのはこんなふうに「大学予備門」に入って通っているからかもしれません。

ふつう大学を卒業するとどこも引く手あまたで、教授をとおしていろいろ就職先から問い合わせなどがあったようで、岸氏のようにどこにも就職せずに独立して事務所を構えたというところは例外らしい。
世の中「代言人」という職業は玉石混淆、下手したらうさんくさく見られる時代でしたので決して順風満帆という感じではなかったようです。
ただ「東京帝国大学」を優秀な成績で卒業したという名分と、依頼者が「勝っても負けてもここまでやってくれたのだから充分です」というくらいな徹底的な仕事の納め方で徐々に信頼を築いたと云う風に書いてありました。

性格は無茶苦茶負けず嫌いの仕事の鬼。学友会雑誌の頃は意気軒昂、子供もできて人生上り調子になったころでしょうか。

3.3岸清一 年譜
• 慶応3年 1867年 1歳 7月4日 松江市雑賀町に産まれる
• 慶応4年 明治元年 1868年 2歳 
• 明治6年 1873年 7歳 松江雑賀小学校に入学
• 明治12年 1879年 13歳 松江雑賀小学校卒業 松江中学校に入学(当時4学年制) 
• 明治16年 1883年 17歳 3月松江中学卒業後東京遊学の途に上る 
• 明治17年 1884年 18歳 1月、東京大学予備門補欠募集の際第二級学期に入学
• 明治18年 1885年 19歳 大学予備門卒業、東京帝国大学法科大学入学(当時4月年制)
• 明治22年 1889年 23歳 7月10日、帝国大学法科大学英法科卒業
7月15日、代言人の免許を受け事務所を東京市京橋区加賀町1番地に設置
• 明治26年 1893年 27歳 弁護士法制定と同時に東京地方裁判所所属弁護士として登録を受く
• 明治27年 1894年 28歳 1月12日 父伴平死去
• 明治33年 1897年 31歳 2月法律事務取調の為英米両国へ渡航
• 明治31年 1897年 32歳 4月、欧米視察を終て帰朝 6月15日、坂井澄子と結婚
• 明治32年 1899年 33歳 9月18日長男偉一誕生
• 明治34年 1901年 35歳 10月27日、島根県法政会副会長推薦、事務所を京橋区宗十郎町1番
地に移転
•明治37年 1904年 38歳 2月、法律上の用務並に視察の為、米国へ渡航