書き起こし

法吉村誌そのいち

「法吉村誌」 内田映(うちだ あきら) 昭和63年8月刊 黒潮社 松江市向島町1823内田 映(うちだ あきら) 松江市国屋町 明治43年生まれ緒言に書いてあった事ですが、法吉村については役場が昭和21年隣接していた法吉小学校の火災の類焼をうけ公文…

4号 吉野と高野山の6

これでこの旅記録の項は終わりです。ながながとおつきあいいただきありがとうございました。 つぎは、どちらに参ろうか? ================ 我は即ち、唐崎の夜雨をいはすして老松を称し、瀬田の夕照をいはすして唐崎を称し、之は比叡山上の…

4号 旅記録 吉野と高野山の5

不案内な土地のことなので。さっぱりわかりませんが、近江八景のはなしになります。 音楽を聴きながら、というのが苦手なアンチながら族の自分が打っていたので、どこか変な打ち方をしているかもしれません。すみません。タイピングミスが最近多くなったのは…

4号 旅記録 吉野と高野山の4

涅槃の境に至った後、翌日17日高野山を下りて行く途で、一人の老女とすれ違います。 弘法大師さまのご利益を受けにと杖にすがりながらの巡礼、そのひたすらな信仰心に感動をする筆者。 つぎは逢坂山へと向かいます。============= 我心も超然…

4号 旅記録 吉野と高野山の3

いよいよ高野山にはいります。旅宿はないので、出身地に応じた「坊」に宿泊。しかし時期外れ?のせいか泊まっているのは著者ひとりのみ。精進料理をいただいて、夜更けには虫の音も聞こえぬ静寂の中に。 ============= 其のニ 高野山十六日、学…

4号 旅記録 高野山の2

後醍醐天皇の陵に参拝していると日が暮れました。その晩は吉野に泊まり、翌朝は下市へ向かいます。ここには釣瓶鮨という名物があって食べてから有名な庭を拝見、なお進んで高野山のふもと学文路(かむこ)の玉屋という旅館に宿ります。==========…

旅記録 吉野と高野山の1

では旅の記録、吉野と高野山の本文をはじめます。まださいごまで写し終えていないので、途中になるかもしれませんがご了承ください。結構神経をつかうのですよ。肩こりもでますし。 閑話休題、 如意輪寺の荒廃を嘆く寺僧と出会い、醍醐天皇陵を訪れるという…

高野山

さてつぎにお目にかけますのは、旅行記です。吉野から高野山へと至る旅です。とはいえ、自分は訪れたこともないのでさっぱりわかりませんが、有名なお花の季節ではなかったせいかほとんど人に逢った気配がない。このころほとんど全行程徒歩ですから、今のよ…

4号 新体詩の2

この旅人は男かと思っていたらうら若き乙女だったのでした。金持ちの一人娘のうえに美貌まであったので、貧乏人の彼氏が傷心して荒野で隠遁生活するわいと失せたあとを追って来たと言う話。話の展開としては金色夜叉の方が現実的かもしれませんが、ロマンス…

4号 新体詩

新体詩と聞くと国文学史の用語になりますが、ようするに島崎藤村とかの書いた読み上げると調子のいい長編詩みたいなものかと勝手に解釈。昔習ったことはとうに忘れ去っておりますので、そこのところはご自分でお調べくだされ。 この「ゴールド・スミス」氏に…

連合野球試合の3

ではこの項最終の講評になります。「野球が来て10年」というのは、山陰に普及したのが10年前ということでしょうか。正岡子規が野球と命名したという話を坂の上の雲あたりで読んだ記憶がありますが、いかがなものでしょうか。いずれにせよ山陰には教えを…

4号 連合野球試合の2

山口高校の選手、当時の男性の平均身長を考えると180センチくらいとは破格の長身、圧倒されたのではないでしょうか。走者残留のことをスタンデイングというらしきは、書き起こしていて気付いたこと。始めは何の意味かわからなかったのですが。当時の装備…

4号 付録 連合野球試合

先日書き起こした、山口高校生?にお願いして参加してもらい開催した試合の報告です。まずは2回までの攻防を。 よく考えたら修学旅行のルートとすれば山口の盆地から萩往還を通って山越え日本海へ、日本海伝いに益田まで来てそれから船かなと。ほかには山口…

寄贈雑誌 4号

寄贈雑誌のはずが最後に突如「正義団」という政治的組織の人による説教になってしまっており、たまげました。ひょっとしてこの中学の生徒かOBが立ち上げた集団なのかもしれません。委細不明なり。郷土資料のなかに「大道雑誌」というのを見かけたような気が…

学友会収支報告 4号

学友会の収支報告です明治32年から33年。このころも4月で期が始まっていたわけか。 本会収支決算報告 (4号 89頁〜91頁) 自 明治32年4月 至 明治33年3月収入之部 金69円17銭5厘 前年度繰越高 金326円70銭 会費及入会金 金38円…

山口高校生来松

山口高等学校生が修学旅行にて松江を訪れた。どうやって来たのでしょうか。山口は山のど真ん中の盆地なので、日本海側に山越えして徒歩で出て舟できたのかしら。北前船の伝統がありますし。あちらの学友会雑誌があればそのところはっきりするでしょうね。山…

海軍将校来校(4号)

随分ながいこと更新しておりませんでした。ちょこっとその意欲が戻って来たか? ならよいのですが更新の仕方、項目の立て方を完全に忘却。やれやれ。それにしても、何時の時代も調子に乗って「法螺吹く」すれすれのおやじは居るらしい。 帯びをしめる和服は…

著作権のこと

そういえば「wikipediaの記事の中に自分の著作のなかの事項がそのままそっくり書き込まれてあって、これは著作権の違反ではないか」と言う風な話が出ていた件ちょっと気になりました。 このように学友会雑誌の記事をそのまま書き起こして転載というのもある…

PDFアップロード

とりあえず、途中ではありますがPDF形式のものをホームページにアップしておきます。 号によってはほとんど書き起こしていなくて項目だけという状態のものもありますが、いつ完成するともわからないので。 ときどき更新してみる、ということで。 ブログ形式…

書き起こし

最近なにやかやで忙しくなり書き起こしが進んでいませんね。 期待されているかどうかは不明ですが、野球試合の解説などもあるので次回はそのあたりから始めて見ようかとも考えています。 第八号あたりは結構出来上がったのでPDFでどこかに置いてみるのも一興…

書き起こし雑談

今まで資料室の現物をお借りして「学友会雑誌」の書き起こしをしておりましたが、このたび事情によりお返しする事にしました。 これからはスキャナーで取り入れていたPDFファイルを参照し乍ら書き起こし作業をする事になります。 現物の方が取り扱いやすいと…

岸清一年譜の3

今回で岸清一年譜は終了。 オリンピック関係の人でもあったのですね。 • 昭和3年 1926年 62歳 4月1日、事務所を麹町丸ノ内二丁目八重洲ビルデイングに移転、8月和 蘭国アムステルダムに開催の第九回国際オリムピック大会に日本選手を統率して出場…

岸清一年譜の2

こうして他人の年譜を写していると感慨深いお年頃になってしまいました。 人生半ばを過ぎると、「一年がたったの数行か」などというのも情けないというかそれだけのものかと思われ。 それはさておき、この方充分成功した、といってよいかと思われます。 • 明…

岸清一年譜の1

生まれはまだ年号が明治となっていない慶応年間。 卒業生の動静に「遊学」とあるのはこんなふうに「大学予備門」に入って通っているからかもしれません。ふつう大学を卒業するとどこも引く手あまたで、教授をとおしていろいろ就職先から問い合わせなどがあっ…

岸清一の資料

最近書き起こしを怠けているのでちょっとお茶を濁します。 今回眺めていた岸清一の資料の書誌情報をあげておきます。 ついでにこれに掲載されていた年譜も。年譜くらいでしたら著作権関係も問題ないかと思いますので。 大まかな所は把握できると思います。 …

岸清一

岸清一伝というのがあったのでぱらぱらとめくってみました。生まれは雑賀町(さいかまち)、橋南(きょうなん)の地域です。 松江市街は大橋川?を境界に、橋南、橋北に分けて呼んだりします。橋北にはお城やその跡に建った県庁やら官庁がおおく、江戸時代は…

書き起こし再開

しばらく休んでいた書き起こし作業を再開する方向に向かっております。 まずは短艇競争会関連のあたりからと思っております。高等学校などが琵琶湖で競争会をやっていたものに参加、その遠征記が記事として掲載されてます。規則や競争形式に知識がないためよ…

書誌情報 第五号

1.4 学友会雑誌 第五号 形態 洋装丁 大きさ 233×160×5 90頁 英文7頁 附録30頁 明治34年7月 印刷の形態 活字印刷 一部二段組 洋紙 標題 「學友會雜誌 第五號 島根縣第一中學校學友會」 ー奥書ー— 印刷所 松江日報社活版部 部活動の記載あり ー…

書誌情報 4号

第四号の書誌情報です 学友会雑誌 第四号 形態 洋装丁 大きさ 223×150×5 ページ数 92頁 英文4頁 附録5頁 表紙装飾 染色なし 明治三十三年七月 印刷の形態 一部2段組 標題 「學友會雜誌 第四號 島根縣第一中學校學友會」 発行兼編輯人 松井實五郎…

書誌情報 2号

ここで入力予定の書誌情報を記載しておきます。 とりあえず各号の目次はできているので、書き起こし作業の進捗状態=ストックによってはこちらをしばらく記載するかもしれません。内容的には雑誌冒頭の漢字熟語が並んでしかも内容空疎(失礼!)に近い項目よ…