岸清一年譜の2

こうして他人の年譜を写していると感慨深いお年頃になってしまいました。
人生半ばを過ぎると、「一年がたったの数行か」などというのも情けないというかそれだけのものかと思われ。
それはさておき、この方充分成功した、といってよいかと思われます。

• 明治37年 1904年 38歳 2月、法律上の用務並に視察の為、米国へ渡航
• 明治40年 1907年 41歳 11月2日、島根県協会(島根県法政会の改称)副会頭就任
• 明治41年 1908年 42歳 法律上の用務並に視察の為、英国へ渡航
• 明治43年 1910年 44歳 10月25日、博士会の推薦に因り法学博士の学位授与
• 明治44年 1911年 45歳 4月6日、母堂逝去、大日本体育協会創立、其の維持員に就任
• 明治45年 大正元年 1912年 46歳 法律取調委員任命
• 大正4年 1915年 49歳 5月26日、東京弁護士会会長就任
• 大正5年 1916年 50歳 法律上の用務の為米国へ渡航、大日本体育協会副会長に推薦
• 大正6年 1917年 51歳 5月、極東体育協会第二副会長に推薦同、東京芝浦に開催の第三回極東選手権大会競技委員となる
• 大正8年 1919年 53歳 9月29日、法律取調委員の職を奉じ尽力少からず廉により銀杯一個下賜、岸育英事業創設
• 大正9年 1920年 54歳 6月1日 、日本漕艇協会創立、同時に会長就任
• 大正10年 1921年 55歳 3月、大日本体育協会会長就任、5月、上海に開催の第五回極東選手権大会に日本選手を率いて出場、同、極東体育協会第一副会長就任、6月、日本漕艇協会会長辞任顧問となる
• 大正12年 1923年 57歳 5月、大阪にて開催第六回極東選手権大会に於て極東体育会会長として同大会を主催、本会には総裁 秩父宮殿下親しく御臨場遊ばされ、成績良好にして此の年始めて拝受の 大正天皇盃我国選手の拝受する所となる
9月10日、事務所を麹町区丸ノ内海上ビルデイングに移転
• 大正13年、1924年 58歳 3月、紺綬褒章を授けらる、4月10日、長男偉一、梶原春枝と結婚
7月、仏国巴里に開催の第八回国際オリムピック大会に日本選手を統率して出場、国際陸上競技連盟並に大日本体育協会が加盟するに当り尽力、国際オリムピック委員会に於て国際オリムピック委員に推薦せらる
• 大正14年 1925年 59歳 5月11日、嫡孫敦雄誕生、5月、極東体育協会名誉会長就任、日本代表としてマニラに開催の第七回極東選手権大会に、日本選手を統率して出場
• 昭和2年 1927年 61歳 出雲育英塾理事長就任
3月25日、第一東京弁護士会長就任、3月、体育に貢献したる功労に因り仏国大統領より「オフイシェー・ド・レヂヨン・ドノール」章を授与せらる
8月12日、令甥南米秘露国に於てレツテス農事株式会社創設
9月、大日本体育協会を財団法人組織とするに尽力、基金の一部として金3萬円寄付