風立ちぬ

堀辰雄は未読の作家だった。そういえば卒業研究でこの作家を選んでいた人もいたっけ、名前と作品名は当然知っているけれど。図書館で借りて来るにもなあ、と思って探してみるとさすがに青空文庫しっかりありました。
余り期待してはいなかったのだが、いざ読んでみるとなかなかいい文章だ。自分が選んだ原民喜の文章と似通った雰囲気に意外さを感ずる。この時代の作家の文章の比較としてをテーマにして考えてみるのも良かったかもしれぬと、今になって思うのであった。あのころ「戦後文学」の方に読書履歴が集中していたのでいたしかたはないのだが。この勢いで室生犀星とか田宮虎彦あたり読んでもいいのだろうが、さて。

閑話休題

ジブリの新作「風立ちぬ」鑑賞。テレビもみないし、しばらくジブリの熱風も読んでいなかったので予備知識皆無にてふらりと。結果は大当たり。堀辰雄のソフトな描写のエッセンス交えつつ、阿鼻叫喚の渦巻く歴史的現実を描きすぎず、しかしそのひっかかりはちゃんと確実に埋め込んである。台詞は削ぎ落とし、歯の浮くような説明的など影も無し。現実に生きている人間が、滑舌のいい徹頭徹尾文章のさいごの一音まで言い切る会話をしているわけはなし。という意味でリアル。

十代のころからずっと、核物理学者が原子爆弾を設計開発したことについて「謝罪」の声がほとんどみられないことに疑問を抱いていた。今回この映画を見たことや、さまざまな自伝伝記を読んできたことによって、漸く腑に落ちたきがする。
夢を追いかける事で、たとえそれを実現したとしても時代は容赦なく個人を痛めつけ貶め地に叩き付け潰すことがある。それでも人は生き続けねばならない、ということ。開発に携わった各物理学者には大陸から亡命してきたユダヤ系青年達も多数含まれていた。プロジェクトのなかで新しい核物理理論が生成され最高頭脳の學者達が一同に会するという夢のような環境。今回の堀越二郎の姿をふと重ねて見る。たしかに、同時代の人々だったのではある。
加えて、佐伯祐三もと考えると、この出会いは自分にとって奇遇。