赤穂にゆく

一気に冷え込み、「雪おこし」と呼ばれている雷が鳴りました。1センチくらいあるような雹も降りまして、あああ、冬がやってきたのねという気分となった今週。
伯耆大山はもう紅葉も半分かた散りかけてカラカラと落ち葉がころがりはじめていました。最盛期のタイミングで訪問するのはなかなか難しゅうございます。
松江宍道湖の夕日も落ちるのは午後5時とあって、もうこれからは車をとばしても平日見るような機会はなかろうかと思われますが、暗い中宍道湖うさぎくんのアタマをなでに詣でるひとがおられるとか。縁結びイベントが功を奏して松江に観光する若い女性をよくみかけるようになりました。これも出雲大社遷座の波及効果とは思われますがめでたいことであります。
天気の急変する冬場は、夕日見物には当たり不当たりの差が顕著になります。うまく行ったら下の写真のようなすばらしく美しい夕陽に出会えます。来松の折にはご期待くださいませ。

最後の一枚は、避寒のためにでかけた瀬戸内の赤穂市街を一つ坂を越えたところにある「坂越」(さこし)の浦の風景。塩の積出港で木戸門まで建てて人の出入り制限していた都合で便利だったのか藩主家族の夏の別荘があったというところ。界隈を逍遥していてとても気持ちのよいところでした。昔ながらの造り酒屋とか残っているたたずまいが本当に自然体。
一坂越えて赤穂のお城にお初にお目もじしたのですが。幕府が潰そうとめをつけたのが納得できるような気が。あんまりに「豊かな」「栄えた」たたずまい。気候は塩田つくるくらいだから穏やか日照時間おおく、揖保川という大河から燃料木材は供給できるし。材料の海水は無限にあるし、塩は産業の発展に必須とあれば巨万の富となる。為政者とすれば目障りこの上ない存在だったかも、と勝手に納得いたしました。
大石内蔵助の生家のある大石神社も敷地広そうだったなあ。昼行灯がそだっても無理はない、あ、いやいや。これだけ大きなお城の藩士がリストラにあったら相当の人数だし、ほんわか暮らしていたのに寝耳に水で大変だったことでしょう。
藩政に汲々としていた小藩の松江とか米子の危機感とか、ちょっと思ってなんとも苦笑。大はずれかもしらないけど。