第七日目

一夜明けて7時、汽船神坂丸に乗って呉を発つ。つぎは江田島海軍兵学校の見学である。8時到着、教室ほかを見てから庭園のある丘にある会議室にて茶菓の接待を受けた。なかなかの眺望である。
午後1時に和船3隻に分乗して白帆を掲げて宇品港へ向かう。宇品到着は4時。それから1里余り堤防に沿って徒歩、広島城に着いたのは日が暮れる頃になった。

太平洋戦争の末期には当然呉、江田島あたりは爆撃に遭っている筈である。よって彼等が見た風景は想像するしかない。廣島はご存知のとおり原子爆弾で壊滅した。被災民が多数江田島に送られたと読んだ記憶が有る。開設されて数十年しか経ていない活気溢れる風景がここにある。現在は想像するしかない。後世に起きたことを考えると感慨深い。

第七日、4月20日、晴、

夙起窓によれば晴湾煙波遠く連る所、各艦の檣頭旭旗まさに朝暾に翻る頗る美麗なり。7時汽船神坂丸我が一 行を乗せて呉を去る、?瀲たる碧水を分けて顧みかちに江田島につきしは8時に垂んれとする頃なりき。島も能美島と相隣り大ならされとも山様水態の奇あり、逶?たる悪道をふみて小丘を超え、海軍兵学校に入る。


各教室, 自習室寝室を見次に軍艦の模型中に入れは機関砲速射砲等各種の大砲整然として具ふ、蓋し未来の将校を造出するの好適地たるを信す。ここを出て後丘に上り会議室の邸内、今まさに盛りなる躑躅の花影に卓に倚りて茶菓の饗をうけ、且つ行厨を開く。邸は前に校舎を隔てて水に面し、眺望頗る絶佳也、碧波里のかなたに立めくる○そ○何島にや。


1時辞し去り和船三艘に賃して、遠く吹き来る長風を白帆に孕ましめて島をあとにし、三時間にして宇品に入る。年を溯る五年、??林の風雲うたた急なるの時に当て、帝国幾万の豼貅か威気止に六合を呑みてこの港をとける思へば、又多少の感なき能はず、白浪岸をかむ所一直線の堤路を行くこと里余熱全く暮雲の中にかくるる頃ひ遂に鯉城城下の客となる。