第十一日目

朝7時に三次を発つ。ここは霧で有名な所で、山に登って雲海をみるという観光名所でもある。渓流に沿って道が延びているのは現在の54号線とおなじく。日が昇り始めると汗が滴る。

落合採鉄所での説明を11時に終え、昼食をしたため「赤名峠」にさしかかる。ここは54号線では一番標高の高いと思われる難所である。冬期は積雪が一番多く凍結するので車でもこの峠を越えるとほっとする。出雲備後の国境という木標に喜ぶ姿に共感できる。

尼子の武将の墓を探すが道に迷って見つけられなかった。5時に頓原に着き宿に入る。炭酸泉を飲んだというが、今でも出ているかも。そういえばこの54号線の沿線には現在そこここに温泉施設が存在する。近代的な施設とは限らないが湯浴み行脚が楽しめる。

第十一日、4月24日、晴

朝戸出の草鞋かるくふみて、7時三次を発す、暁霧漸く れて涼気洗ふか如く、遠山近水依稀として淡く描か る、群雀の薮中に囀る声をきき、露をたふる野草の朝風にゆらくを見つつゆく。道はきのふも同しく渓流を右にし左にして、山又山の間を走る、耳既に渓声と山道とに飽きたりとはいへ、あるは峭崖水をたてて花躑躅の咲きみたるる、あるは涓泉の石に擲つ所、尾の長き鳥のとふなと眺むては尚もその雅致を失はさるを喜び、日の中天に上るに従ひ煦々たる日光は頭上を射て流汗?々として背を溢る、


落合採鉄所に工学士の惇々たる説明をきき去りて11時といふ 小駅に昼餉をしたため、我等が健脚は正に赤名峠を越えんとす。漸く頂に至り出雲備後の国境と記せる木標の下に至れば、衆覚えず手をうちて、雀躍す、蓋し長途の草枕幾夜か さねたる身の出雲といけば、いとなつかしき且つうれしき心地せるがためなり。之より乱石を踏みて坂を下り辛うじて平道に出で、両側なる蒲英などのしほれたるを態とふみしたきてゆくに、旱の日はいと暑く輝ぎて道草の香えならず鼻をつくを、紋ある蛇のうねりうねりと匐ひて人を怖れざる気味わろしや。


赤名にて水夥しくのみて渇を忘れ之より烏田権兵衛の墓を訪はんとして古檜老杉の中に道を失ひ唖然として去る、史に見る彼れ尼子の忠臣勇悍にして兵をよくす、毛利元就が出雲を侵すや彼ら赤名の要塞に戦ひ、兵つき刀折れて遂にここに斃ると、我等はこの勇士の英魂を慰するを得ざりしを悔ゆるを切なり。


5時頓原に入り炭酸泉に至りて一掬すれば爽味いふばかりなく殆ど疲労を忘れて宿に入れば、宿舎の我等を待する甚だ酷なるに初めて喃々擾々せし口も、いつしか鼾声を発する口とはなりぬ。