大仙紀行概要

次回からは4年級以下の伯耆大山旅行記を数回掲載する。
言い訳をすれば、漢字はなんとか部首で検索できるのだが、ひらがなの草書風活字があってこれが読めないときがある。ゆえに一部日本語とは思われない言い回しになっているがご了承をいただきたい。そのうち推測できるようになるかとは思われるが。

この「東伯小旅行」(伯耆大山のふもとに「東伯」(とうはく)「西伯」(さいはく)「岸本」(きしもと)などの地名有り)は宍道湖を経由して米子まで汽船で行く所は同様である。それから一級河川日野川を渡り大山へ向かう。山腹の寺院に至り宿泊、翌日船上山(せんじょうざん)へと向かったが路を誤り目的を達せず、御来屋(みくりや)に宿泊。三日目は名和神社に参詣し海浜を歩き米子へ帰り松江に戻る。

6.18 四年級以下の大山行
五年級の松江を辞して岡山に向かひしと日を同じうして五年級以下二年級以上名は東伯小旅行の途に就きぬ、
五年級生と船を共にして米子に至り、分れて大山に向ふ、虹の如く横る日野川の長橋をわたり。芳草霞に連るところ漠々たる牧原の中をたとりて遂に山腹に達し寺院のある所に宿りぬ
雲を枕に霞の衾風流はなけれと、寒山の古刹に半夜の夢驚きて、落月枕上を訪れしとき什○の感愴に打たれしとするそ、
翌日船上山の古跡を探らんと欲し叢の露を分けて裾野を駆けめくることつきる尽日、而ら○路を誤りて志を果す能わす、日暮御来屋駅に至りて宿す、

明くるれは16日名和神社に詣てて古忠臣の英霊を拝し、去って海道の乾沙を踏んて帰路につく、北に日本海の蒼溟を望んて雄大の眺めを恣にし剛骨伸ふこと三寸、再び汽船に乗し中海の夕靄をついて松江に帰りぬ、