雑報

第七号 新来の先生を迎ふ

西村元主教師は4月に赴任、岩手県より。雑報、学生生活のカテゴリ参照のこと。 日進月歩、我国の中等教育は、益々旺盛の域に趣くと共に、中学教員の欠乏を告ぐること、実に少しとせず。曩 に、吾等は児玉教頭、横山、中村、清水、鹿野、並河の諸先生を送り…

連合野球試合の3

ではこの項最終の講評になります。「野球が来て10年」というのは、山陰に普及したのが10年前ということでしょうか。正岡子規が野球と命名したという話を坂の上の雲あたりで読んだ記憶がありますが、いかがなものでしょうか。いずれにせよ山陰には教えを…

4号 連合野球試合の2

山口高校の選手、当時の男性の平均身長を考えると180センチくらいとは破格の長身、圧倒されたのではないでしょうか。走者残留のことをスタンデイングというらしきは、書き起こしていて気付いたこと。始めは何の意味かわからなかったのですが。当時の装備…

4号 付録 連合野球試合

先日書き起こした、山口高校生?にお願いして参加してもらい開催した試合の報告です。まずは2回までの攻防を。 よく考えたら修学旅行のルートとすれば山口の盆地から萩往還を通って山越え日本海へ、日本海伝いに益田まで来てそれから船かなと。ほかには山口…

寄贈雑誌 4号

寄贈雑誌のはずが最後に突如「正義団」という政治的組織の人による説教になってしまっており、たまげました。ひょっとしてこの中学の生徒かOBが立ち上げた集団なのかもしれません。委細不明なり。郷土資料のなかに「大道雑誌」というのを見かけたような気が…

学友会収支報告 4号

学友会の収支報告です明治32年から33年。このころも4月で期が始まっていたわけか。 本会収支決算報告 (4号 89頁〜91頁) 自 明治32年4月 至 明治33年3月収入之部 金69円17銭5厘 前年度繰越高 金326円70銭 会費及入会金 金38円…

山口高校生来松

山口高等学校生が修学旅行にて松江を訪れた。どうやって来たのでしょうか。山口は山のど真ん中の盆地なので、日本海側に山越えして徒歩で出て舟できたのかしら。北前船の伝統がありますし。あちらの学友会雑誌があればそのところはっきりするでしょうね。山…

海軍将校来校(4号)

随分ながいこと更新しておりませんでした。ちょこっとその意欲が戻って来たか? ならよいのですが更新の仕方、項目の立て方を完全に忘却。やれやれ。それにしても、何時の時代も調子に乗って「法螺吹く」すれすれのおやじは居るらしい。 帯びをしめる和服は…

7号 野球部10年記念寄付

読めばわかる、創部?10周年記念寄付ですか。 5.2.4 野球部十年紀念寄付金 一金五十銭 青山 庸 君 一金五十銭 多田 知敏 君 一金五十銭 高橋 亮 君 一金五十銭 渡部 友次郎 君 一金五十銭 川崎 亨一君 一金五十銭 中川 保 君 一金五十銭 布野 豊宗 君 一金…

7号 寄贈書目と前号の訂正

雑報のつづきというか同じ並びになっていますが、これも別立てします。 前号の職員ほか目録の正誤もあとに続いています。 「西田千太郎」氏は、多分小泉八雲が松江に赴任していた時のせわをしていた人物かと。たしかその後文通していた書簡も残っていたかと…

7号 学友会決算

決算書というのは、部外者に取ってはほとんど興味の持てないものでありますが、後世の資料としては客観的資料として興味深い。というわけで項目ひとつつけます。 漢数字で並べても今は「和算」の時代でないので分かりにくいかと思い、右側に(アラビア?)数…

学校記事 7号の7

組長というのがよくわからない。委員の数がこれだけ必要な程クラブ員がいたのか?と言う感じが多少いたしました。 役員人数に部員数が比例するならば、ボート部は人数が余り居ないのでしょう。 それにしても、趣のあるお名前の方が結構いらっしゃる。楽しめ…

学校記事 7号の6

会費は俸給の200分の1というところが斬新?! 雑誌部は毎年3回雑誌を発行とあるが、他になにか作っていたのでしょうか? 第八條、会長には学校長を戴き、各部部長、評議員、会計主任、及び、理事は特別会員中より、会長之を嘱託し、 各部委員、組長は通…

学校記事 7号の4

中学校教諭の赴任先などは、どこが所轄で決定していたのだろう。岩手県から島根県というのも、当時地の果てに行くような感じだったかもしれない。 やはり、お城のあるようなところにしっかり旧制中学校が出来ているのか。岡山県高梁といえば備中高梁、いちど…

学校記事 7号の3

この頃の特待生というのは授業料を一部免除とか特典があったのかもしれませんね。 修学旅行は九州へ。授業科目に「体操科」というのも出来ていますね。 校僕25年勤続というのは創立以来勤務ということになりますか。中学校校長会議で上京! 次に、本学年間…

学校記事 7号の2

この項はなにもかも一緒くたに並べて書いてあります。項を別にした方が分かりやすいのですが。スペースの問題でしょうか。ともかく、今回の卒業生は63名。なかなかの人数であります。 • 3月29日、午前10時より、第十五回卒業証書授与式を挙行せらる。…

学校記事 7号の1

久々に書き起こし再開。7号に掲載の行事記録です。教諭の人事異動が脈絡もなく単発的に行われているような感じがします。「うさぎ狩り」というのが、またすごい。川津といえばいまや山を造成して団地が出来ています。それと田畑は健在か。 修学旅行の際は中…

2号 行軍

修学旅行が中止になって、在校生500名余りで行軍をしたとの記述です。一種の遠足ですが、三泊三日の行程。 無論基本的に徒歩のうえに、演習を行ったというのでそれなりの装備を担いでということになります。松江から安来を経て米子泊が一日目。翌日弓ケ浜…

2号 発火演習

現在の大庭町(おおばーちょう)は、住宅地。市街から少し離れていますが、やはり町中です。 のちにこのあたりに軍隊の駐屯兵舎・練兵場?がおかれ、現在その敷地は県立松江工業高校になっている筈です。 ほかの記事に「うさぎ狩り」をしに行ったというもの…

7号の雑報の2

去る者あれば来るものあり。 手のひらを返すように歓迎の美辞麗句。 しかし、札幌から米国、郵船会社から三重県中学校教諭という経歴はいったい… 1.2 新来の先生を迎ふ 日進月歩、我国の中等教育は、益々旺盛の域に趣くと共に、中学教員の欠乏を告ぐること、…

7号の雑報の1

ちょっと忙しいのでお茶を濁す。美辞麗句かくのごとし。 しかしこの時代、現在のように教頭や校長になるために「資格試験」というものがあったのでしょうか? それにしても、遠方に転勤されて大変です。 1.1 児玉教頭及ひ横山、中村、清水、鹿野、並河の六先…

8号学校記事の2

記事はこれで終了。「幻燈」がこのころあったらしい。 スライドでしょうか?まだ「蓄音機」の時代ですし。 • 9月22日、西村昂三氏は雇を解かる。 • 10月6日、通学生取締規定を制定せらる。 • 10月10日、卯木霊雄氏は雇を命せらる。 • 10月11日…

8号学校記事

8号に書かれた行事ほかの記録です。 3.1 会法附学校記事 (8号 36頁〜38頁) • 6月3日、午前9時より、嫁ケ島附近に於て、学友会端艇競漕会を挙行す。但午後風浪烈しきを以て中止す。 • 6月4日、引き続き、短艇競漕会を挙行す。 • 6月7日、午後…

寄贈書目(8号)

ちょっとつなぎに。 他の学友会から寄贈された雑誌の項目です。題名を見るだけで興味深い。 「烏(からす)」と「鳥(とり)」では大違い。ん?「鹿島県」というのがあったのでしょうか? 打ち間違いかしら。最近やたらとタイピングミスが頻発しておりますが…

卒業諸氏の動静の18

これで卒業諸氏の動静の項は終了です。 馬木(まき)というところは出雲方面に「馬木不動尊」という有名なところがありますからそのあたりでしょうか。これから暫く生活の落ち着きの無い状態が続きそうなので更新は間欠的になるやもしれませんがご了承下さい…

卒業諸氏の動静の17

無名と言う名前は、説明に困ります。洒落た名前だとはおもいますけれども。 「三成」は「みなり」と読んで島根県の仁多(にた)あたりにあります。千葉医学専門学校ですか。 早稲田大学の名前もでて参りました。一年志願兵というのは期間を限っているわけで…

卒業諸氏の動静の16

これも分割します。 永井という姓をみて思い出したのですが、「この子を残して」の永井博士は三刀屋町の育ちで現在記念館がありますが、 この方のお父さんはもともと地元で医院を開業されていたと思います。 確率としてはこの松江中学校の卒業生という可能性…

卒業諸氏の動静の15

明治法律学校というのも出てきました。東京遊学中というのはいわゆる「浪人」かも、なんて勝手にかんがえたりします。 34年分はこれでおわり。 鹿島高等師範学校生 上野 好敏 工業学校本科生 村井 昇一郎 実業 原 鴻象 東京遊学中 中村 茂男 山口高等学校 …

卒業諸氏の動静の14

34年のつづき 不明というのは納得できるのですが、死亡というのはやはりそういう時代なのだと言う気がします。 兵役と一年志願兵のちがいもよくわかりませんね。 東京同文学院? 工業学校生 天野 長重 士官候補生 周藤 觀一郎 家業 太田 耕造 死亡 岩成 麻…

卒業諸氏の動静の13

34年は三つに分けます。 • 同34年3月 54名(註 名簿は59名分) 第一高等学校生 小倉 鎬 高等商業学校生 勝部 占一郎 第三高等学校生 三島 宏造 第五高等学校生 金坂 隆造 第五高等学校生 中西 貞次郎 岡山医学専門学校生 加藤 順三 東京専門学校生 …