大仙行その2

どじょうすくい踊りで有名な安来の港をすぎて、10時に米子に着く。
これからは徒歩である。まず日野川を渡らねばならならない。今も何本か橋はかかっているがかなりの幅である。ちょうど大山を背景とした絵はがきが資料の中にあったのでこれは一種の名所なのだろう。
車尾を経て蓑蚊屋高等小学校で昼食、のち大神山神社に参拝、ひろびろとした牧原(地名か?)に休憩して横たわる。
暑くて汗はかくし、喉が渇いてたまらない。「水があったぞ!」の声に群がる。

安来港を後目に見のがして、米子に着せしは午前10時なり、乃ち五年級と此に別れ余等道を東に取り日野川に至る、長橋208間、河底一体大小の砂礫磊々、往々些々たる水流を其間にかたづくるをのみ、然れども若し濛々たる陰雨連日に亘りてやまざらむか、箔々として濁水漲ぎり遂に堤防を侵害せは波濤忽ち掀翻し来り、今まで五穀穣々の秋をおもいて勇みあひし千百の田頃、無残にも荒蕪の有様とならん、そをおもえは、肌戦も慄せんとす、


眸を放ちて東方を望めば、巍峨として碧落を突く角磐山は千秋の白雪をいただき、中腹に至るに従ひ漸次其緑色を増し、靉靆たる薄雲之れに横はれるを裾野の方より芝焼く樵夫の煙なるらん縹渺としてのほりその末遂に之れに続くそのおもしろさの形容し難きに、黒く見ゆるまで緑濃きこなたの森にたなひきかかれる色の調和をかしく、長閑なる雲雀の声さへ加はりたるは、余等の如き凡脳膓も為めに詩化せらるる想あらしめたり


車尾などの地を経て、道を東南にとり、歌ひつつ行く軍歌に何時しか尾高に着き蓑蚊屋高等小学校に於て午餐を喫す、運動盛んなる地と見え、数十名の生徒互に棒を振りつつ珠をうつなど末頼もしき心地せらる、

大神山神社某東隣り社内桜苗多く植えたり、あはれ今より数十年の後の春こそそのながめおもひやらるれ淙々の小流れ、咲き乱れたる椿などの幾多を送迎しつつ、牧原にかかれり、

日は愈々暖かに汗は益々加はりしも種々雑多の話説に忘れ行きしか、休憩の令にしばし開拓に芝生に横はれり、嗚呼昔は馬追人の足ならては至らさりけむ此高地にも、ものさへ植うることとなりしを思えは、大御代の御恵の露あまねき實にあり難き極みなり、

喉渇すれど醫するの水なく、芝に横はりて眼を閉つる時しも、水!水!の声耳朶を撲ちけれは、乃ち韋駄天走りに走りつつ至れは、一路の水流窟中より流れ来り澄徹いさごをも数えつべく、一掬又一掬三四度も繰り返せば清冽舌をさし、今までせまりし疲労も渇きも何地にうせけむ、水は涓々としてそか行方を告ぐるに似たり、甘露とはげにかかるをいふならむか。