金沢第四高等学校の1

今回からしばらく金沢にある第四高等学校の紹介。
未知の國ではありまするが、当地におすまいの方には感慨深いものがあるかと。
何よりこの項で楽しめるのは高校生の日常?がうかがいしれるところ。しかしなぜ校長などの年俸をわざわざ記しているのか、そこのところは不明。

3.2 金沢状況  同前 鴬谷
(2号 43頁〜50頁)
誠に北陸の汽車に乗じて加州に入るものは、必ずや、先づ青松積翠杳霞として、丘園一帯長く、東より西に走るを見ん、是即ち野田山なり、又その東に当りて、山容蜿蜒として大蛇の蟠まる如きを見ん、是即ち臥龍山なり、
而してこの二山の間、白亜の城壁屹として松柏の上に聳へ、之を囲んで無数の人家櫛列するあるを見ん、是即ち北陸第一の都会金沢市なりとす、

金沢市
舊前田家百万石の城下にして、人口十万余、市街甚だ繁盛ならずといえども、清流四流して溝渠に汚物沈滞するの処なく、蓊鬱たる森林は、至る処に散在して、塵埃空に満るの憂なし、然れども惜い哉、位置自ら日本内帯の中央に在るを以て、年中降雨の量多く、秋冬の二期は空しく遊子をして学窓に呻吟せしむ、

市中主なる学校を列挙すれば、第四高等学校の外、石川県工業学校、同農学校、同中学校、同師範学校、金沢高等女学校、真宗加賀中学、北陸英学校、金沢英学院、高等学校予備学舎等とす、
この内工業学校は東京大阪に次ぎ完全なるものにして、現今の校長は理学士久田督氏(年俸千五百円)にして、教諭んも書家久保田米僊氏(年俸千二百円)以下数十名あり、中学校は目下職員五十名、生徒八百余名ありて、法学士野田数馬氏が校長たり、
然れども是等諸学校中規模最も大にして、学科も高尚なるものは我第四中学校なりとす