仁多地方行軍の3

宍道湖畔に沿って走る現在では9号線にあたる道を、左折=南下していよいよ山の方へと進む。9時半玉造村に到着、ここで送って来た1、2年級の生徒と別れる。
ここから本格的な山の中に分け入り、大原郡大東町勝田坂にて迎えの大東小学校の生徒と遇う。

大東小学校にて食事を饗せられる。この行軍中、地元の小学校が大方の休憩所として供せられている。食事も地元の世話で取るが、宿舎はどうなっているのか不明。いくつかに分散して宿泊している模様。出立の時は、銃の一斉射撃を演じることでもってその礼にかえているようである。山奥の山村では一種のイベントとしてなかなかなものであったろう。

此の時期に稲刈りをしているようである。人家の庭に生っている蜜柑がうまそうだというところが、ちょっと笑える。

下佐世はまだ大東町のなか。ここの小学校にて茶菓の接待をうける。暮色のあらわれる頃、いよいよ敵味方に別れて模擬戦の開始である。

去りて湯町をも過ぐれば、路は左折して玉造川に沿ふて走る。

沿道の路櫨葉色深き下、磊畸たる岩塊水を遮りて餘沫迸るの處、一斉に歌ひ出す軍歌は之に和して綜々として余韻長く、知らずしらず足を運びて九時半玉造村に至る。


送り来りし一、二年級の生徒を残して、我等は更に道を大谷にとり、一縷の狭路高き所低き所漸う超えて大原郡に入る。勝田坂にて大東なる二小学生の迎ふるに逢ひ、歩武蕭々として大東(註 だいとう)に至り、高等小学校に銃を組みぬ。


時に午をすぐ、饗せられたる一包のビーフに舌打鼓らして昼食を終へ、去って又尋小校に茶菓の饗をうけ、再び足を南せんとするに臨みて、町外づれに三発の一斉射撃をなす。
白煙漠々として四顧忽ち暗く、余音前山に轟きわたりて後川の水に長く、遥かに彼の小学生が呼号する万歳の声に送られて、我軍は又山に入る。


田夫村娘は稲刈に忙はしくして、寒されたる山手の茅屋は、昼尚静かに、垣根の野菊袖に匂ふも捨てがたく、黄橙枝にたわわなるを見るに至りて、徒に垂涎の思ありき。

これより幾里をか進みて、下佐世(註 しもさせ)の小学生に迎へられ、同校に入りて饗せられし茶菓に咽喉をうるほしぬ。
校は背に山を負ひ、前には百頃の青田を控へて更に山と相対す。眺望豁然としてしかも地の利を得たるの観あり、宜なるかな佐世正勝が城をここに築きしや。端なくもそのかみを追想するの念凄々として起りぬ。

四時白帽の第二中隊まづ発して仮設敵となり、次で我が第一中隊はまた動き出しぬ。
落日行手の岩嶢たる連山に返照して、硝煙濛々剣戟相映ずるの壮観将に数時を出でずして起らむとす。