仁多地方行軍の5

川を隔てて両軍がにらみ合う。援護射撃を背負いつつ川原に降り立ち、川を渡って敵の本隊を攻撃。本陣に突入したところで休戦のラッパが鳴る。
そんなに容易に川を渡れるのかと思ったがよく考えると、現在の様に護岸が成されているところの方が少ないと思い至る。
石垣はあっても、コンクリートでがちがちに固められているわけではなかったろう。
砲煙という記述で「大砲」もあったのかと驚く。行軍にはこれをごろごろ曳いて歩いたのだろうか。実戦さながらか?

六時半に食事を供せられ宿舎に投ずる。宿舎前に整列させて人員点呼、のち9時過ぎに寝床にはいるが頭の中に戦いの興奮がまだ駆け巡っている。
若いし第一日目なので、まだまだ元気なのだ。日を追うにつれて、疲労は蓄積しはじめる。

茲に於て我本隊亦進みて橋臺を占領し、頻りに敵の正面を狙撃すといえども、敵もさるもの、将士未だ全く老いず、太田中隊長よく令しよく守る。


両軍大河を挟んで雌雄未だ決するけはひもなく、婉然是れ竜虎谷を隔てて相睨むの活劇。たまたま中隊長期する所やありけむ、再び令して第三小隊をして下りて河原に援護射撃をなさしめ、第一第二小隊をして徒歩簸水の滾々を横ぎり、以て敵の本隊を衝撃せしむ。

硝煙水に咽びて轟々の声たかく、砲煙の濛々をわけつつ、脛を没する流れに水沫を散らして進みゆきし我軍は、難なく敵の本陣に吶入せんとする


刹那、休戦の叭声は高く長く響き渡りぬ。対戦實に千秒に及ぶ。
落陽西に没し尽くして、暮靄やうやく東を罩め、凄愴暗憺たりし戦雲ここに全く収まれば、更に兵を橋上に合して、隊伍蕭々として木次町に入り尋小校に至る。


時に六時半懇切なる饗は飢を癒して各宿舎に投ず。九時を過ぐる十分、予は日直小隊長と共に人員検査として各小隊の宿舎を廻り、舎前に整列せる人員を點検して褥に入れは、銃声剣戟耳朶に残る。