仁多地方行軍の10

11時半日の谷(樋の谷?)の峠を超える。ここに茶屋があったらしい。
12時腰をあげて更に進む。ようやく三成(みなり)に着き茶菓の接待を受け馬木川に沿って行く。
ここに書かれた「絲原」氏は鑪(たたら)製鉄を営んでいた。現在「絲原記念館」があるはずだ。
古市につく頃には既に星がまたたく時間となっていた。7時にようやく宿舎となる横田町に至る。
現在でもかなりの山奥であるが、この頃は街頭も無い真っ暗闇で有った事だろう。

尾花の穂うるはしくそがあたりに風靡くに、橋の袂には?せにたる子馬を放ち置きて、馬子の煙草打燻らしつ つある殆ど畫の如し。


所謂日の谷の峻嶮一里をつくして、十一時半その峠頂に上りつき、一旗亭の簀の端に腰を下せば、向かひの山より通ずる筧の水潺々として冴え、清冽しかも愛すべく、餘滴迸りて溝邊の潤ほす所、あはれ誰れが為めに飾る華容ぞや、二三株の野菊優しく匂ひこぼるる、何れ山家の秋景眼に映ずるもの、一としてうつくしの眺めならぬはなし。

正午辞し去って更に進む、蓊鬱として杉檜枝枝と相摩するの間を過ぎ、渓谷僅かにつきて、渓水声遠く去れば、足は早も佐白八代の小驛をも超えぬ。路傍に整列する小学生に迎へられて、三成(みなり)の高小校に入りしは既に旱を過ぐる頃なりき。行厨を開き茶菓の饗をうけ、四発の一斉射撃を残して去る。


山又山の闇を迂折して更に馬木川(まきーがわ)の滔々として流るるを右に携へてゆけば、満山の樹葉色深く、暮れゆく秋の夕日に栄えて、絢繍目を奪ひ、散りて我等が佩ける剣光は逍ふ、覚えず快乎を呼ばしむ。


ゆきゆきて地の豪農糸原氏(註 絲原氏)の製鉄所を一覧し、再び畳々たる連山の裾を繞り、谷を辿りて古市(ふるいち)につけば、夕陽没し盡して遠山近郊悉く暗く、只仰ぎ見る大空に、二三點閃く星の光美し。



黒き三百の影は闇より闇に動きて、七時遂に横田町(よこたーちょう)に入る。まづ高小校に饗をうけ、次で各宿舎に入れば、戦友爐を(いろり)を擁して壮語する声沸くが如く、蓋し数時の後再び虎闘龍驤の中に相見ゆるを知らざるものの如し。