仁多地方行軍の12

しばらくは横田の平原をあるいた。秋の紅葉は今も昔もこのあたりを名所としている。風景の見事さに歌も口からこぼれだす。山にわけいったところで天候が急変した。必死の思いで峠を越えると、そこには青空がひろがっている。まさに秋の空である。

11時に亀嵩(かめだけ)に入り小休憩する。ここは温泉、亀嵩算盤で有名である。後世此の地方を一気に有名にしたのは松本清張の「砂の器」である。「亀田は元気か」という台詞があったか、そういえばつい先頃亡くなった緒方拳さんが出ていたはずである。
眺望のよろしい山道を通り比田にはいったが小雨が降り始めた。小休憩をはさんでまた進むが、午餐ははるか先であると聞きやりきれないほどに腹がへってくる。なさけない。
ようようたどりついた四谷で思いがけないほどの大歓迎をうけた。万国旗をはりめぐらし、花火?までうちあげる。午餐はもちろん大判振る舞い。腹はいっぱい、一気に士気が昂揚して体操、教練、一斉射撃を披露してのち4時前に出発した。

(6)
蜿蜒として曲折する山道しかも嶮ならず、仰けは高し左右兀として聳ゆる山嶺、樹葉は色深くして錦繍を抒ぶ。このながめゆかしき風色に意自ら快く、歌ひ出す軍歌の声も爽やかなり。


漸くにして横田平原限界の外に隠れて、我等は益々山にわけ入りぬ。金風頂より吹いて麓の尾花さやさやとなひきあひ、落葉に埋もれし山の井水黒うして、悽愴の気慄然として起る。忽ちにして一団の暗雲濛々として天の彼方に起りぬと思ふ程に、再び雨足斜に襲ひ来るに、すはと呼びて一目散に歩を早めつつ何とか云ふ峠一つ越ゆれば、碧空また現れそめて、行手の岩崔たる連山の頂より、朝陽燦として光芒を放つ。


十一時小学生に迎へられて、亀嵩(註 かめだけ)に入る。小学校に饗をうけ、三発の一斉射撃をなす。辞し去り古城山の峨々たるを右に、三郡山の巍然たるを左にして進む。満山の紅葉鬱蒼たる松翠の間に綾どられて、眺望最もよし。道は或は上り或は下り、嶮や岨や交々すぎて、比田(註 ひだ)驛につきし頃には、小雨又もふりいでぬ。


時に零時を超ゆる三十分茶菓の饗をうけ、小学生に送られて又発し谷間の櫓田刈株淋しく、小鳥むれて飛ぶ捨てかたく、右盻すれば山手の谿川水冴えて、小屋に水車の音ねむげなり。

此処何等の畫致ぞや。午餐は四谷といふ所なりとききて、腹立たしさやる方なし、飢渇頻りに至りて、全軍の士気大に衰へんとす。辛うじて勇を搆ひ、山道の崎嶇を巡りて、漸く小学生の迎ふるに遇ひ、ゆかて山の一角を繞れば、アーチ緑り濃ゆかに、幾十旒の国旗翩々として風に翻る。忽ちにきく轟然たろの響、何ぞ是れ我行を迎ふるの煙火ならんとは。いちど嬉しさに心勇みて蕭々たる歩み武は、設けの広庭に進み入りぬ。飢を醫するに食あまりなり、喝を治するの茗香し。壮気茲に再び百倍し、執銃体操、小隊教練、一斉射撃等を演じて出発せしは、四時に近き頃なりき。