海兵学校の3

今回で海兵学校は終了。じつは一番心に残ったのは「人生僅かに50年」という言葉だった。
そうか、これからの人生は「おまけ」「あまり」「余録」なんでもいいがそういうものなのだったかという感慨あり。
縄文時代の平均寿命は30代だったかとおぼろげに記憶があるが、さて80年という平均寿命となったのはつい先頃なのだと改めて認識する。

40代に入ってから段々と体のあちこちに不具合が生じ始め、記憶も断裂しはじめる。なるほど、人間と云う種の寿命は体は30代なのだとどこかに書いてあったようだのを実感し始めた、そして今迄の「文明」とやらはほとんど30代が蜿蜒と築いてきたものなのだと最近感じられるようになった。
ある意味、60代70代の政治家が現役で権力を持ち続け国家を動かしているというのは未曾有のことなのかもしれない。
学生時代日本史の教師が「70代以上の政治家は全部引退させろ」と喚いていたが、それはそれでありうる選択なのかもしれない。学生の身分ながら「大丈夫かそんな事言って」と思ったけれども。当時其の教師は30代、先日めでたく校長と成ってのち引退をして花束をもらっている映像をみつけた、というのは余録。

今更そんなことはどうでもよいけど。どうもそこまで生き延びる予定はないので…
今のお年寄りは中年より余程元気で金持ちだし。

願書手続


願書は例年其年の6月15日迄に市町村役場に差出すへきものにて書式心得等は総へて官報に記載しあるものなれは言ふに及はさるも字格明かに極力誤謬なき事を勉むべし又願書は早く着手する方宜しとす


一度目的を成功したらむには将に多事ならむとする日本海沿岸の我県下は海軍武官乏しき事実に忍ひざるなり
本県も等しく日本帝国の部分なり殊に有望の地位なるに何故共用なる帝国海軍武器を他県人に譲りて顧みさるものよ

快豁極まる海國男の本分を忘れ此社会を無視する者そ熟慮せよ
人生僅かに五十年居ながらにして宇内を巡覧し得らるるの幾何かあらむ若し天気晴朗なる日堅艦山の如きに叱咤して朝に故郷の空を発すれは夕に異境の珍物に接し或は西洋に又は東洋に一度事あるに当ては黒煙雲の如く舳艫相連れて雷轟一発敵艦を粉韲し我帝国の列声を宇内に人耳に染聞せしめたらむには又人生五十年間に起る
快中果して那邊に位すべんや快ならずや壮ならすや