海軍兵学校

遠洋航海通信の8

外国にゆく目的が本当に「信心」なのかどうかは別にしても、幼くして日本語を舌を巻く程達者に喋る子供というのも、これは一種の語学の天才でしょうか。まあシュリーマンもかなりの数の言語をものしてトロイ発掘のための活動を起こしたというお話ですが、ゴ…

遠洋航海通信の7

年も近いので現地の子供が、物珍しいらしく寄ってくる。物怖じしない子が多かったのか。 教場には女教師が多いとあるのは、女性はこの当時「職」が限られていたせいだろうか。ジェーン・エアも自活の為に家庭教師でロチェスター家にやってくる。そういえば以…

遠洋航海通信の6

娼婦や日本からの鉄道労働者の記述あたりに関しては、バランスをとるために小林多喜二の「蟹工船」を読んでみると良いかもしれません。なにしろこの文の作者は、保守体制側のよいところのお坊ちゃんという立場で書いていますから。 外国人労働者がいかに劣悪…

遠洋航海通信の5

いよいよカナダのバンクーバーに到着、この頃はまだ英国領の時代でしたか。 そして、ここを出港して合衆国領にはいります。第二次世界大戦で敵味方に分かれようとは誰も考えもしない時代のことです。日本人会の組織も盛んに活動している由。 八時十五分艦首…

遠洋航海通信の4

この頃無線(モールス信号)はあっても、天気図はなし? 司馬遼太郎「坂の上の雲」の時代です。 毎日正午に太陽の位置をはかって羅針盤で航海している頃のはなしです。 一喜一憂、陸を見たいという心持ちはいかばかり。 翌20日より愈帆走に移り揺られ揺ら…

遠洋航海通信の3

太平洋に繰り出す直前の情景です。波はかなり高いのかもしれない。 艦隊と別れを告げて羅針盤の修正を行います。富士山が見えますが、これが日本との別れかと思うと感慨深いものがあるようです。ラジオで聞くともなしに気象通報を聞いていると「野島碕燈台○○…

遠洋航海通信の2

横須賀から出航にあたり、艦隊の船などが見送りしてくれます。 正統派漢文は格調高いが、書き起こしは苦労します。 10時45分湾口を出で全速波を切りて進む楽隊が奏する「オーランサイン」悲壮沈痛を極む已にして彼巡り帰らんとす其声更に沈痛我「奉賀」…

遠洋航海通信の1

いつもは全部その項の書き起こしを全部終えてから開示しておりますが、今回は途中です。 ゆえに途中で途切れるかもしれません。なぜ「遠洋航海記」なのか、はじめて見たときは理解できなかったのですが、「海軍兵学校」の項を書き起こしてようやく推測できた…

海軍兵学校の生活の14

この項は今回で終了。 本気で是を読もうとするとブログを古い順からよまねばならないところが不便だとはおもう。 だいぶ体裁が整って来たらホームパージに適当に更新しながらTextShopでPDF化したものを号毎に展示してゆこうかとも考えております。といいつつ…

海軍兵学校の生活の13

クラスメイトの起源はこんなところに?というのはいい加減だが、実際の所「陸軍兵学校」(こういうのが当然ありそう)はどうだったのだろう。 司馬さんの本を読んでいると海軍は比較的階級的縛りが陸軍に比べてゆるかった?ように思えるのだけれど。残念なが…

海軍兵学校の生活の12

旧制中学や旧制高校でカッター競技が有名だったのは、こういう軍事訓練の意味合いがあったせいだろうか。それとも欧米の大学の競技を見習って? 「端艇の新造」については、他の項に寄付金を募って一艇を新造した事業に関して経費其の他の事情をしるしたもの…

海軍兵学校の生活の11

気象衛星もなく、かろうじて無線、電話があるという時代には、海洋船舶航行にはたいへんな危険を伴っていたということがよくわかる。そういえば「坂の上の雲」を読んだとき、バルチック艦隊の敗因の要素のひとつに荒天による破損が挙げられていたような気が…

海軍兵学校の生活の10

ここでなぜか勝海舟がでてくる。原文は縦書きで訓点つきなのだが、横書きに訓点というのは大変なので白文で書き起こす。白文の読み方は学生時代に習った教師いわく「ヲニがでてきたら返る」。語順は英語と一緒「○を」「○に」という目的語が下になって並ぶ。…

海軍兵学校の生活の9

汽船の時代となったのに何故このように「帆船」の操作を学ばねばならないのか、ということを得々と語る。 一旦水の上に出てしまえば、逃げ場は無い。しかも戦闘である。 「その心最も小、肝は大、動作は敏捷に、作業は周到に、困難な状況に対峙して驚き慌て…

海軍兵学校の生活の8

今回は課程の年間行事など。いよいよ忙しそうである。 勝手ながら、メンテナンスの関係のため来週まで更新はおあずけとなります。ご了承ください。 本校の修業年限は従来4ケ年なりしが、昨年10月の勅令により、短縮して之を3ケ年とし、卒業の日直ちに海…

海軍兵学校の生活の7

タスカローとはなんぞや?? 尚ほ軍制学、戦術学、艦隊運動、信号法等は乗艦の後之を学ばしむ 人或は以為らく、軍人は命を投じ血を○て戦ふの徒、粗豪狷介即ち足れり、何ぞ又学を究め技を習ふの用あらんやと、誤れるの甚だしきものといふべし、古来軍将に名あ…

海軍兵学校の生活の6

うまく整形できないがお許しを。tex(テフ)ソフトでの表作成は今回ここで覚えた。なかなか便利ではある。 大砲もスイッチ押せば一発などという便利?な時代ではないので、火薬の扱い方から照準の調節まですべて手作業だった筈。水雷は大いに活躍していたよ…

海軍兵学校の生活の5

罫線はでないので適宜整形っと • 第一期(三号生徒) 学科 科目 節目 1週授業時間 普通科 外国語 英文 4 英語 2 物理・力学・化学 総論、熱、音、光、磁気 4 運動、動力、静力、流質 3 非金属、爆発薬、金属 3 数学 平面幾何学・立体幾何学 2 平面三…

海軍兵学校の生活の4

船種はよくわからない。日露戦争で活躍した戦艦を練習用にあてている話も在るのでお好きな方は御注意を。 つぎは授業科目のはなしにつづいてゆく。が、罫線ちゃんとでるかしらん。 湾内には、錦波漾々の間、岸に接して汽船江田島丸あり、又数艘の小上記艇、…

海軍兵学校の生活の3

「講堂」とあるのは「教室」と読み替えてみるとよいかもしれない。修学旅行の項で海軍兵学校を生徒が訪れているので周囲の雰囲気はそちらの記述を読んでみる方がかえって分かりやすいかもしれない。 ともかく広大な土地に広がる?校舎や湾内の様子は想像して…

海軍兵学校の生活の2

暫く設備ほかの説明がつづく。なにしろ実地研修も大掛かりの学校である。戦艦に搭載した大砲の扱い方から実弾射撃までやらなといけない。ひとたび太洋の中にでてしまえば孤立無援、日常をおろそかにすると何百人もの乗務員がそのまま海の藻くずになる。 海軍…

海軍兵学校の生活の1

今回から海軍兵学校の日常にせまる ここを卒業すれば海軍将校も現実になるかなりハードな生活。体力と頭脳が必要な学生生活である。 いまやGPS、人工衛星による位置判断、天気図も瞬時に情報がはいる時代であるが、これが無い時代の苦労困難を垣間みることの…

海兵学校の3

今回で海兵学校は終了。じつは一番心に残ったのは「人生僅かに50年」という言葉だった。 そうか、これからの人生は「おまけ」「あまり」「余録」なんでもいいがそういうものなのだったかという感慨あり。 縄文時代の平均寿命は30代だったかとおぼろげに…

海軍兵学校の2

科目と点数配分が詳しく記されてある。興味深い。 白文必須は、命令書がよめないとまずいから?というのは冗談 兵学校生徒 現今五百有余の生徒を有し分ちて12分隊となす修業年限3ヶ年にして新入生徒を三号と称し漸時一号生となり 卒業の上候補生として遠…

海軍兵学校

ここまでくると学校シリーズと云った感じもしなくもないが、今回からは広島の江田島にある海軍兵学校の紹介となる。 現在も自衛隊の養成学校のあるところである。修学旅行では定番の場所でもあったらしく、修学旅行記では随分力をいれて書いてあったので、そ…