海軍兵学校の生活の2

暫く設備ほかの説明がつづく。なにしろ実地研修も大掛かりの学校である。戦艦に搭載した大砲の扱い方から実弾射撃までやらなといけない。ひとたび太洋の中にでてしまえば孤立無援、日常をおろそかにすると何百人もの乗務員がそのまま海の藻くずになる。

海軍兵学校は、欧州に於ては、其学校を或は艦船に設くるあり、或は陸岸に設くるあり、而して其利害得失亦一ならずといふ、我海軍兵学校は、東京に在りし時は、即今の海軍大学校の在る所にして、摂津艦を以て其練習艦となししが、江田島に移るに及び、始は海軍所属船東京丸を以て校舎に充て、之を学習船と称し、別に軍艦天龍を以て練習に供へしも、


25年現今の生徒館成るに及びて之に移り、爾来今日に及べり、今亦練習艦として軍艦鳳翔を有す、此に由て之を観れば、我海軍兵学校は、陸岸教育の法を採れるが如くなるも練習艦を有するを以て、亦艦船教育に同じ、蓋し我海軍の趣旨たる、兵学校在学中は、陸岸教育の利益と、艦船教育の利益に之を歛めしめ、而して校を出づるの後、更に練習艦に搭じて遠洋を航せしめ、以て艦船実務の神髄せしめんとするに外ならざるべし


本校現時の建築物を述ぶれば、其最も大なるものは即ち生徒館にして、全体赤煉瓦を以て造り、雑ふるに花崗岩を以てす、300の生徒が日夕起臥する處にして階上階下の2に分かる、階上中央に監事部を設く、即ち当直監事の在る所にして、其左右の6大室之を寝室となす、階下は之を生徒の温習所(即ち自習室)に充つ、館に接して汽
缶室発電機室あり、館内に点燈を司る、


生徒館の北に一大木造あり、之れ即ち講堂(即ち教場)にして、生徒が日に教を師に仰ぐ所なり、其左右端両大
室に各一個の雛形帆船あり、帆船各種の形式を混差して造れるものにして、之れによりて運用各種の法術を学ぶ、
一を天地と呼び、一を玄黄と称す、其他艦船の模型等多し、