海軍兵学校の生活の9

汽船の時代となったのに何故このように「帆船」の操作を学ばねばならないのか、ということを得々と語る。
一旦水の上に出てしまえば、逃げ場は無い。しかも戦闘である。
「その心最も小、肝は大、動作は敏捷に、作業は周到に、困難な状況に対峙して驚き慌てず、窮地に陥って恐れず」という件は要所をおさえた名文だろう。
次に出て来る名前にちょっとびっくり。

然れども未だ此火輪を走らすの好技倆は、之を嘗て帆船を遣るの好手腕に得たるものなるを知らざるなり、蓋し海員に最も難しとする所は、天候を予察して之を避け、或は之を利用するに在り、而して能く之を為すものを好会海員といふ、而して帆船は風に依り進むの船にして、或は帆を操し、或は索を引き、一に彼の海員が最も惧るる所の天候を利用して、巧に海上に馳聘せんとするものなれば、其之にして操縦する難しといふべし、

故に之に乗るもの、其心最も小にして、其膽最も大に、其挙動最も敏捷にして、其作業最も周到に、難に会し驚騒せず危に瀕して恐れず、怒濤震盪、万馬騰躍の間、綽々として余裕あるものにあらずんば能はず、而して漸く之れに熟し、其妙味を会得するに至らば、怒濤を行くこと猶ほ担塗を乗るが如く、荒嵐且つ春風の思あり此に始めて、所謂海上是我家の境に達すと云ふ


彼の汽船の如きは、機械力を借りて螺旋を推進し、機械力に依て諸器具を運転するもの、若し一人の機関士あらば、何人も能く多少の荒天を犯し、得々して之を操縦するを得べし、然れども黒雲一たび空を翳して駭濤天を搏つに至りては、彼の帆船に熟達して、海上の真味を得知したる、スマート、ヱンド、ボーノドの将卒にあらずんば其の心に安んずる所あらざるうぃ以て徒に周章狼狽するのみにして遂に能く之を救ふなし、


之を聞く、浪速、高千穂の始めて我国に回航せらるるや(両艦回航の前我國の軍艦は総て帆船にして汽機あるものも其力小に只帆を助くるの用をなせるのみ)我海軍の士官皆羨んで曰、浪速、高千穂なる哉老朽の帆船復た何の用をかなさんと、然るに後諸帆船と共に艦隊に入り、揚錨の「レース」を為すに当り浪速、高千穂の利器を以てして、葛城、武蔵輩に及ぶ能はざることありしと云ふ、蓋し機械力大なる船は、兵員の身体を労すること漸少く、平常其身体動作を練なる余地、漸次退縮すればなり、運用行船の術汽船と共に衰ふること此の如し、

近年に至り各国造船の術漸く精に、衝突予防の法漸く密なり、而して其實海上艦船の衝突、年を遂ふて倍す、之れ艦船の数次第に増殖し、其往復次第に頻繁となるが故なるべしいへども主として帆船の廃頽と共に、海員の技倆著しく退縮せしが故なりといふ、


比叡副長松村中佐は長く我級に師たり常に教えて曰く、海上生活の真味を知らんと欲せば帆船に搭じて遠洋に航すべし、若し夫れ一たび太洋に浮ぶ時は、短くも数十日、長きは数閲月、日夜見る所は唯天と水とのみ、而して時に烈風時に怒濤交々艦を悩まして暫も己まず、而も我能く之を利用して巧に馳聘せば、漸く海上の面白味を感じて亦早く陸岸の近からんことを望まず、心純に、神快に、物に倦みず事に飽かず誠に高潔無垢の真境に入るべしと、<<