日本人の2

寺には拝礼してのち弁当持ちで散策するとか、そういえば米国人には珍しいことだったか。
ともかく米国、ヴィクトリア朝でなくてよかった。何の推理小説だったか、ヴィクトリア朝式では淑女の足首を見た見られたというだけで結婚の義務が生じるなどという話があったような。
豪傑の女性が出て来るはなしだった。
日本にきたら雨が降ると高下駄はいた男女がひざのあたりまで裾をはしょって歩いているのだから、いやはや。
人力車隆盛の頃。少なくとも馬糞でぐちゃぐちゃだった西欧よりは歩きやすかっただろう。

カラカラと町行く者の躁々しさよ、彼等は木又は藁の履物を穿ちたればかかる音にするなり、また靴足袋は一種の足嚢にて親指は別に位置を占めたり、雨天になれば三インチ程の底に木の足ある木履を穿つ、かくして日本国民全体が雨天になる毎に三寸高くなる都合なりその時には泥にまみれざるやうにとて婦人は裾を膝の邊までまくり上げ、男は裾を帯後に挟みて行く而して男も女も紙の傘を持って体の半分上をおほえば裸脚にて充たするるやうに見らる


日本の衣服はまた一種異なりたるものなり、男も女も一様に首より足まで長く垂れたるを着、前にて合せて腰の邊を帯にて結ぶ、女の帯は半ヤードの広さの美しき絹の筋にして背にて大きく結ばるる位に長し、男も女も皆首の邊を寛たり、

元来娘といふものは歩くにはチヨコチョコと小股に股を内側に向けて歩くものなりと教えらるるなればかくして恰かも鳩の足の如くになるなり、そは衣服の端の広がりて醜からぬやうにといふ為めなりとか、袖は長く優にして手腕の所まで縫うひつめたり、衣服の色は一般に誠にぢみれて絹も木綿も日本人には燦たる華美なる色よりは寧ろ暗青色や鼠色の好まるるを知る。

数知れぬ小供等は諸方に遊び廻り、ここにはまた家族総出にて行くあれば、また他の家族共は拝礼して後、森の中を散策せむ用意に弁当持ちて寺に詣づるあり、あるは道すから議論しつつ行く学生あり日本の政治家を帝国議会へ引いて行く人力車あり他の人力車には頭は裸の日本婦人が訪問や散歩に行くなんどもあり、

かくて日本には殆ど馬といふものを見受けず、人力車の外に誠に僅かの馬車あり故に余は人力は今尚ほ日本の土地に横行して勢力を有する事を知れり。