詞藻

4号 吉野と高野山の6

これでこの旅記録の項は終わりです。ながながとおつきあいいただきありがとうございました。 つぎは、どちらに参ろうか? ================ 我は即ち、唐崎の夜雨をいはすして老松を称し、瀬田の夕照をいはすして唐崎を称し、之は比叡山上の…

4号 旅記録 吉野と高野山の5

不案内な土地のことなので。さっぱりわかりませんが、近江八景のはなしになります。 音楽を聴きながら、というのが苦手なアンチながら族の自分が打っていたので、どこか変な打ち方をしているかもしれません。すみません。タイピングミスが最近多くなったのは…

4号 旅記録 吉野と高野山の4

涅槃の境に至った後、翌日17日高野山を下りて行く途で、一人の老女とすれ違います。 弘法大師さまのご利益を受けにと杖にすがりながらの巡礼、そのひたすらな信仰心に感動をする筆者。 つぎは逢坂山へと向かいます。============= 我心も超然…

4号 旅記録 吉野と高野山の3

いよいよ高野山にはいります。旅宿はないので、出身地に応じた「坊」に宿泊。しかし時期外れ?のせいか泊まっているのは著者ひとりのみ。精進料理をいただいて、夜更けには虫の音も聞こえぬ静寂の中に。 ============= 其のニ 高野山十六日、学…

4号 旅記録 高野山の2

後醍醐天皇の陵に参拝していると日が暮れました。その晩は吉野に泊まり、翌朝は下市へ向かいます。ここには釣瓶鮨という名物があって食べてから有名な庭を拝見、なお進んで高野山のふもと学文路(かむこ)の玉屋という旅館に宿ります。==========…

旅記録 吉野と高野山の1

では旅の記録、吉野と高野山の本文をはじめます。まださいごまで写し終えていないので、途中になるかもしれませんがご了承ください。結構神経をつかうのですよ。肩こりもでますし。 閑話休題、 如意輪寺の荒廃を嘆く寺僧と出会い、醍醐天皇陵を訪れるという…

高野山

さてつぎにお目にかけますのは、旅行記です。吉野から高野山へと至る旅です。とはいえ、自分は訪れたこともないのでさっぱりわかりませんが、有名なお花の季節ではなかったせいかほとんど人に逢った気配がない。このころほとんど全行程徒歩ですから、今のよ…

4号 新体詩の2

この旅人は男かと思っていたらうら若き乙女だったのでした。金持ちの一人娘のうえに美貌まであったので、貧乏人の彼氏が傷心して荒野で隠遁生活するわいと失せたあとを追って来たと言う話。話の展開としては金色夜叉の方が現実的かもしれませんが、ロマンス…

4号 新体詩

新体詩と聞くと国文学史の用語になりますが、ようするに島崎藤村とかの書いた読み上げると調子のいい長編詩みたいなものかと勝手に解釈。昔習ったことはとうに忘れ去っておりますので、そこのところはご自分でお調べくだされ。 この「ゴールド・スミス」氏に…

日本人の6

今回でこの項は終了。この文章は日本でそれなりの月日を経てからでないと書けないような基礎智知識を含んでいる。 おかげでとても役に立つ。 この時までの晩餐の用意整ひて余等は日本料理を味ふこととなれり 我々は皆一様に食事すれども各自一つづつテーブル…

日本人の5

ここに書いてある様に、内湯のあるくらいの裕福な家なのであろう。しかも旅館でもなし。 宗教的規範もあって他人に肌をみせるということに抵抗のある「西洋人」だから、バスといっても盥に湯を酌んで行水みたいにしてというのでもOK(バスタブがあれば上等)…

日本人の4

このカーペンター氏はかなりの日本通である。たいへん礼儀正しい。 どこだったか、「日本は子供を大切にする国である」と記述していた本は。まあともかく、西洋の中流家庭では乳母を雇って子守りというより育児全般をまかせ両親は子供の顔を見るのは朝夕だけ…

日本人の3

畳を輸出していたのか? 米国式はたいがいペンキを塗って仕上げとするらしいが、そうでない日本家屋は不思議に見えよう。 豪華な調度品を並べて家具を見せ合い、というステイタスの見せ方からいうと、すかすかに見える室内。 徒然草をおもい出します。「夏を…

日本人

再掲載になるかどうか。 多分生徒が英文翻訳の試みとして書いたものと思われる。この米国人カーペンター氏についてはほかに言及は無い。 当時の?東京のありさまを書いていて面白い読み物になっている。ときどき訳するほうがおかしいのか、単に原文の方がお…

日本人の2

寺には拝礼してのち弁当持ちで散策するとか、そういえば米国人には珍しいことだったか。 ともかく米国、ヴィクトリア朝でなくてよかった。何の推理小説だったか、ヴィクトリア朝式では淑女の足首を見た見られたというだけで結婚の義務が生じるなどという話が…