日本人

再掲載になるかどうか。
多分生徒が英文翻訳の試みとして書いたものと思われる。この米国人カーペンター氏についてはほかに言及は無い。
当時の?東京のありさまを書いていて面白い読み物になっている。ときどき訳するほうがおかしいのか、単に原文の方がおかしいのかまわりくどい言い方になっている所もご愛嬌。
では、しばらくごらんにいれまする。

2.3 日本人 米人カーペンター氏著 第四年級 北脇寛造訳 
(8号 19頁〜27頁)


日本人は一般に謙遜なれどもその習慣に至っては大に米国と相異なり、余等が東京中を行く内に多くの家内の有様はよく見らるるなり、其所には不思議の眼をしたる婦人に化粧してあり婦人は少くして且円き鏡の前に畳の上に尻を敷きて化粧す顔には白き粉を塗り唇を赤く染むれどしかも道ゆく人はその美景に怪みもせず見もせで通る、


隣には昼餐を喫しつつある家もあり、その様床の上に重るかまたは膝を組みて、凡そ靴ばけ入れ位の高さのまたその大さのテーブルを各自に持ちて食ふ。手前の方は店なり商人は背をとり○はしたる貨物の中にありて床の上に平たく座る、床は商人の帳場にて顧客は商ひをする時には床の上に座して待つ間に商人は一個々々を取り出して客に示し見ればうしろの方の障子は広く遥かに開かれて家族は皆売買を監視せるなり。


帳場のものは一方にすわりて線の上に並べたる木の珠の箱を持ちて損益を勘定し、そは珠を上下に動かして加へもすれば減じもし余等か鉛筆や紙を用ふる如くに早くしてまた間違ふ事は殆どなし、然し店を出でて群集の所に行かんに東京の市中は幅広からず、しかも群集を押し抜けて行くも少しも混雑せずかの数多の余等と行違ふ男も女も皆性質善くして余等を兄弟の如く取扱ひ親愛の情溢れていとゆかし。


日本人は遇うたる時には微笑してお辞儀す、而して余等が店に止るかまたは家に這入れば彼等二つに折れはせずやと思ふ迄何遍となくお辞儀するにより返礼として余等も丁寧にお辞儀するなり、元来日本人は余等よりも弾力強しと見ゆるなりかやうにしては余等は日ならずして丸くなるべく恐らくはインドゴムのやうなる曲馬師とても日本国中を廻る中には屹度躓きて倒るるならむと思ふほどなり。