日本人の5

ここに書いてある様に、内湯のあるくらいの裕福な家なのであろう。しかも旅館でもなし。
宗教的規範もあって他人に肌をみせるということに抵抗のある「西洋人」だから、バスといっても盥に湯を酌んで行水みたいにしてというのでもOK(バスタブがあれば上等)という感覚のような気がする。
氏が英国人ならばなおさらのこと。パブリックスクールの記述を思えばそんな感じである。(岩波新書「自由と規律」池田潔著)
湯殿のしかけはなかなか興味深し。

さて余等は主人より今夜は晩餐を食うて泊つて帰られよと勧められたれば客間に行く事となれり、


その客間は家のうしろにありてそこに行けば直に浴場に入り給へといふ、余らは名誉の客として第一の順番となれり、もと日本人は非常に潔癖ありて大抵の暮しよき家には湯殿ありて浴桶を持てり、客に第一に入らしむることは善き習慣の徴しいて凡べての家族は小供が何人ありとも同じ湯にて僕婢は最後にし、桶を出でざれは石鹸は使はれず体はシャボンをつけて後、かめの中なる水を注ぎかけて最後に洗ふ、公共の湯屋は全市至る所にありて其数八百余ありとぞ値は一人僅か一銭にて三十万の人々が浴する事を得ていかなる貧乏人とうへども容易に体を奇麗にする事を得るなり。


下女に導かれて湯殿に行く室の一方の隅より冷水木管を通りて湯桶に流れ込む下水は外庭を通りて流るる小川に捨てらるる仕掛なり、その桶にて浴し終ふれば冷水か温湯かを体に注ぐなり、また湯桶は木製にて短き卵形の桶なるが下には木炭の火ありまた桶のうしろに水の中を通りぬけたる煙筒ありてそれに体躯が触れぬやうに白き松の板にてよけせられたり。


湯はかすかに蒸気を吐きたれど、牝牛とり取り絞りて間もなき新しき牛乳よりも暖くはあるまじと思はるるにつと飛び込みたる刹那。こはいかに、湯は煮えかへるやいにて沈まんとして湯傷して大喘ぎしたり忽ち飛び出せば体の皮は赤かぶらのやうに赤くなったれば下女は外よりのぞき見て着物を手に持ってクツクツと笑ふ、かくまで日本人があつ湯の好きなるにはあきれたり老爺も赤ん坊も毎日かやうなる湯に這入るなり。