琵琶湖遠征紀行の2

いよいよ出発、松江市内を流れる大橋川?の汽船乗り場から東へ中海に出、馬潟(まかた)の沖をすぎて弓ケ浜半島の先にある境港に至る。ここから郵船三河丸に乗って日本海周りで敦賀へ向かう。
行く先が関西だと、岡山へ向かう修学旅行とは当然行程がちがいますね。
午後四時出向した船は翌朝八時前に敦賀湾に到着。ここから汽車に乗って大津へ向かい夕方に宿へ着く。
さてさっそく明日は練習開始です。さすがに端艇は搬送できないので借りる算段があります。

霞か雲か将た霧か、千鳥の孤城淡く淋し気に我等を送る、いとど切なるか如く見られしも理や、馬潟の沖を過ぐる頃、後藤先生並びに山田選手監督其他撃剣柔術の諸子を乗せたる汽船回漕丸と歩を共にして、日は既に高し。
境港に着せしは午前9時なりき。

引野旅館に中食を済まし、一同通船にて郵船三河丸に便乗せり。見送る人と見送らるる人の見かはす面に、一種云ふ可からざる色あり。知らず何の前兆ぞや。午後4時三河丸は眠れるが如き日本海の波を蹴って東の方へ進みぬ。


29日
暖かき夢ならで甲板上の騒がしきに何事ならんと起き出で見れば早や暁の色薄く霧込めて、三河丸は敦賀湾頭にきしかかりぬ。今は早や見るもの凡て他国の土地なれば坐ろに故国の恋しきを覚えぬ。午前7時40分船は敦賀湾内に投錨しぬ。

我等は他部の諸子と共に一旅店に憩ひ、同10時出発は汽車に乗じて大津に向ひぬ。途中隧道の驚愕鉄橋の巻舌はあまり滑稽に走れば略之斯くして汽車は数多き宿駅を越えて馬場に停車したり。
我等はそれより徒歩にて大津の宿に足を洗ひしは既に夕なりき。宿は昨夏我校選手の止宿せし所、欄に寄って四方を見渡せば湖水の波は静かにて、磯邊に寄せ来る細波は尚昔の夢を私語が多し、懸声叱咤の声は彼方此方に聞え、稀に水面を掠め行く海鳥の声も切なりき、遙かに見渡す沖合には、紅白の旗淡く出発点を示せり。

中間600メートルにも、亦紅白の旗翻れり。決勝線は三保が崎に隠れて見えざれど、我等が予想せしよりは、コースいと短かりき。即刻森ボート屋より二艘の端艇を借受け、朝夕2回の練習を行ふ事とせり。同夜は、昨夏此所に敗れし老将の物語に耳傾けつつ眠りぬ。