琵琶湖遠征紀行の7

師範学校もこの競漕会に加わっていますが、これは「名誉競漕」ということで順位には関係なさそうです。
年齢の関係もあるのでしょう。普通は中学を卒業して師範学校へ進学するわけでしょうから。
ともあれ筆者のチームも京都義和倶楽部相手に快勝。どうも相手の技倆がかなり劣っていたようです。

かくて第五回は終り第六回と成りぬ、之は昨夏名誉競争にて優勝を争ひし滋賀師範内奉公団と島根師範との戦なり流石は老練のチャンピオンなるかな花々敷活劇の末奉公団は遂に五分十七秒半にて決勝点に入りぬ、されど我云はむ、奉公団の選手は漕法に於てゼロなりきと、されば畢竟彼の勝は力にありしのみ、敢て老将の為めに惜まざるを得ず。

続いて第七回のレース終れば待遠しかりし第八回のレース我第二選手と京都義和倶楽部との戦なり。いざ敵の奴原見事蹴破って見せんと紅の装にて艇に遷れは汽船は徐々と二艇を曵いて決勝点に至りぬ。

やがて各々汽船を離れていざ御参なれと身構ふれば敵も今を遅しと待構へたり、霹靂一声天地も轟かん計りの号砲に得たり賢し義和の君よさらは我一中の腕前を御覧あれよと一斉に漕出さば向ふも必死と振ひ乍に漕出す、

我はスタートより彼に遅るる事半艇身にて六百メートル迄進みぬ、それも向ふはあれが関の山なりしか我の励声一番いざ抜け!の声に驚きしにもあらざる可し見る見る気の毒や義和の君は我艇の尻を嘗めつつ来給ふあはれの姿となり給ひぬ、

さればあまり勝っても気の毒と思ひ我は遠慮の気味にて漕ぐ事四百メートル、既に余す所百メートル振返れば義和の君いちど切なる風にて手も腰も早曲らむ迄に疲れ居給ひぬさるを我亦千メートルの場所よりハードと令しぬ、義和の君よ怒り給ふな之は我一中の策戦計画なるものを君の敗北し給ふは君が弱き故なりと単に自称し給へ!

我は悠々然として決勝線内に入りぬ、要する時間さぞや多からんと思ひしに之は何たる事ぞ五分十九秒!吁快なりなり我島根一中は亦もや大勝利を占めぬ、然して二艘共に名誉候補艇と推されしは古今未曾有の珍事と云はざる嗚呼快!嗚呼快!