武徳会の柔術試合の2

この項を入力し始めてから気づいたのですが、この武徳会による催しには、短艇、柔道、撃剣の3部が遠征した様子です。
柔道試合の会場では、長刀や演武のアトラクションがあったと描かれています。

8月5日、撃剣試合の当日なり我6名の選手が名誉の全勝勇ましかりき。


此日柔術組合は発表せられぬ、我敵は何処の誰とぞ急ぎ見れば皆半ば以後の組合にて幼年組の村上氏は郡山中、岩田氏は京都体育館、日森氏は広島師範、石原氏は聞くも雄々しき九州男児、酒井氏の如きは終より三つめの組合にて武名盛んなる高知中、相手としては不足なしいでや明日を期して見参せんと初陣の心勇しや。


明くれば千秋の思なしたる8月6日来れり!!柔術仕合の日!

8時過ぎ宿を立ち出でて武徳殿に至れば群衆は黒山を築き居たり殿の周囲は幔幕を張り回し東西の軒外に演武者の控所あり、殿の正面一段高く南面して玉座の設あり左右に監督官審判官の席あり前面は武徳会会員席東西は演武者席中央に一段低く畳敷十数畳敷きつめられたり、


晴れの場所とて千変万化秘術を尽して戦ふ様は牡丹に狂ふ唐獅子か玉を争ふ双龍か観る者をして不知不識の間に拳を握らしむ、やがて正午をなりしかば中餐を喫し終ふれば柔術の形あり居合あり未だ十にも足らぬ少女の長刀の形つかふも愛らし、28か29ばかりの女人許白の襷に紺袴短かに着なし号令の下に矢声かけつつ一斉につかふ体操も興あり、