武徳会の剣道試合

今回からは剣道部の活躍を。
当時は「撃剣部」と称していたようです。要件をいうと、明治35年7月28日、3部まとめて総勢28人が境丸から乗り継いだ、境港午後5時発の「三河丸」に乗船して一晩かけて敦賀へ。
三千噸というのはかなりのトン数のような。
夜間佐渡島のあたりの漁火が見えたというのはなかなかに趣きのある情景です。荒天でなくて善かったですな。
佐渡に横たふ天の川、というところかな。

4.3 比叡風   月郎
(8号附録 16頁〜24頁)
葵御紋の昔忍ばるる、二十万石の御城下に、今も残んの天守閣、稜々武道を伝へたる、高き霊感を受くる城見が岡の健児、春の野の若草の、もえにし尚武の気堂に満ち、年々歳々月移り花咲くの頃、あるは暁の雪に天を睨んで修練積みにし甲斐の深みどり藍より出てて美しき。

杜鵑も血を吐く此盛夏、寒暖計上る事無慮98度、時に35年7月28日、先生同朋に送られて、我親愛の両部と合せて数も28人、嗚呼吾れ重大の責任と、名誉とのみならず、双肩にかたぐ竹刀の余り重きかな、血気にはやる、はやり男も、勝て雲井に高名挙げずば斃れて、鴨水の邊に、屍骨洗はなむぞ今や道途の境丸、纜ときて汽笛一声…


一帆東に走せて、十里の湖面音もなし、程なく半日の行程竭る行手に境見ゆ、時に11時、はるかに沖を見渡せば三千噸の三河丸、大膽の音調に呼ぶ事急なり、5時といふに乗る、関の岬に立ち舞ふ鳩の群れ、関の明神伏し拝む、心は昔も今も変りなき、武運長久の願なり。


念ずる折から動き出し、碧潭たとふ日本海、行けや快男児!青嵐袂を払ひ、巨浪舷に砕けて、夜の黒幕たれそめし、佐渡が小島のみそらには、天の川ほの見えて、新月涼しく浮びたり、夜はいと冷かに、能州の古英雄も忍ばれて、いつとはなくに夜は更けぬ、暗にもそれと、但馬なる漁火連綿として、数百里、げに航海第一の壮観なり。

静かなる気缶の音、悠々たる波に和して、清浄の気天地に満つ。百里の行航一昼夜、霧の行きかふ朝まだき見れば弘安の昔を思い起さむ金ケ崎ほの見えつ。今や征旅第一の日の出の勇ましきを見る。