撃剣

7号 撃剣大会の6

ここに円月殺法はまだ編み出されてはおりませんが(笑)、よくぞいちいちこういう仕合を著述できるもんだと感心致します。そこは同じスポーツをやっているからなのでしょうが。 書き起こししている人間にはチンプンカンプンでして。ともあれ今回の撃剣大会は…

7号 撃剣大会の5

じつは此処にしてようやく「有志、監獄、警察」の符牒の意味がわかるのですが、どうも「連合」というのはそういう意味なのですね。加えて昨年、一昨年のとあるところをみれば少なくとも連続して開催しているものらしい。 書き起こしで辛いのは、意味も分から…

7号 撃剣大会の4

午後からの仕合。来賓の紹介です。仕合数が多いので短評は後半へ。 午後1時の鐘は響きぬ朝来の観客益増し来りてさしもに広き講堂も一の余地なく喇喨たる楽の音は余音長く神さひて一段の神厳を添へぬ、 来賓の主なるは川俣視学官、黒井県視学、遠藤師範学校…

7号 撃剣大会の3

一日目の終了までと、翌日の仕合です。 三本勝負 12 勝 胴面 幸田 秋平 3年 胴 黒田 興太郎 5年 13 勝 突手 山本 信則 2年 池田 哲 2年 14 山内 無名 5年 勝 面、手 幸田 秋平 3年 (12)共に大身剛力乱撃度を失ひ幸の胴いたつて拙し黒ぬかさ…

7号 撃剣大会の2

大体このような感じで記録が書かれています。書き起こしは表形式にしているので少しは見やすいと思います。 「千家」という名字は、出雲の方の方でしょうかやむごとなきお生まれのように見えます。 1本勝負 1 津田 栄一郎 1年 勝 小手 原田 信介 1年 2 …

7号 撃剣大会

端艇とともに付録に納められた撃剣と柔道の連合大会の記録です。相当長いので苦労いたしております。(まだ入力終了していない) 表のあとに短評がついており( )の中の番号が仕合番号です。それと二日間にわたり同じ講堂で柔道とそれぞれ時間をきめて分け…

武徳会の剣道試合の8

武徳会の剣道試合は今回で終了です。 明くれば6日柔道部またもや全勝!山陰の快男子向ふ処遂に其敵を見ざるか? 見上ぐれば比叡の山路にさし登る新月青嵐に清げなり、やがてや錦かざる身の心地よく放言に三更を知らず、明日は名残惜き別なり、帰路はまたも…

武徳会の剣道試合の7

ここで此の日の試合の記述は終わり。 漸くして、東の方に名原氏出づ、敵は武術の中心地、京に生湯を仕へし剛のものの泰然たる大刀のこなし、深き潭に月影を写す、打てば玉散る形なりや、暫時睨まへたるが、間髪の隙間やありしとも見ぬ間にやと打ち込めば此方…

武徳会の剣道試合の5

5日、午前八時から開会式とともに試合がはじまります。 第四回武徳会青年演武会というのが正式名称のようですね。総裁は多分宮様のひとり。 これからずっと池波正太郎ばりの解説がつづきます。おたのしみに 5日 平安新宮の頂に輝きし旭に朝漸く明けそめた…

武徳会の剣道試合の6

これらを書き起こしつつ思ったのですが、せいぜい何分かの勝負をここまで仔細に記憶して記述することは容易ではないような気がします。これが経験者で同僚?だからできるのでしょうか? 現代はビデオだって写真だってあるわけです。 よくよく考えるとこの時…

武徳会の剣道試合の4

武徳殿の説明に入ります。用意ができたというので三日間練習に励みます。 4日はボート=短艇の試合の日で、全勝の報に快哉を叫びます。 武徳殿は二條通りに接し南方には桜馬場があるとのこと。東方には平安新宮、新宮というのは明治時代に再建されたという…

武徳会の剣道試合の3

武徳殿の用意が出来ていないということで仮の練習場となった、京都第一中学校の道場の説明です。 図は今回示しませんが、大まかにいうと四角が横に二つ並んでいて左が柔道場、右側が剣道場です。 剣道場の内側四方にめぐるようにしてイロハニホヘのスペース…

武徳会の剣道試合の2

29日朝6時に敦賀着、10時汽車に乗ります。 ここに書かれている観光地は私は知らないのでコメントしようがありませんが、いかがでしょう? 大津に汽車は着きます。ここで同行していたうちの14人と別れて京都に向かいます。 1里もあるトンネルとはどこ…

武徳会の剣道試合

今回からは剣道部の活躍を。 当時は「撃剣部」と称していたようです。要件をいうと、明治35年7月28日、3部まとめて総勢28人が境丸から乗り継いだ、境港午後5時発の「三河丸」に乗船して一晩かけて敦賀へ。 三千噸というのはかなりのトン数のような…