武徳会の剣道試合の6

これらを書き起こしつつ思ったのですが、せいぜい何分かの勝負をここまで仔細に記憶して記述することは容易ではないような気がします。これが経験者で同僚?だからできるのでしょうか?
現代はビデオだって写真だってあるわけです。
よくよく考えるとこの時代は樋口一葉幸田露伴夏目漱石正岡子規森鴎外が現役で活躍していた時代。
まだ言文一致体が確立されて間もないくらいのことです。この文章の記述に影響を与えているのはさて何の分野であったかと考えてみると興味深しといったところです。

西に於て福間氏出づ、敵は名に負ふ兵庫武者、されど氏も聞こえたる荒武者なれば、木葉武者何條事かあらうと畳掛け掛け一突きやッと突出せば、突たりな、突きたりな美事や美事、軍扇直ちに此方に上る、
一本取られて危ぶむ敵をば、足もとしどろにまで追まくり追まくり、息をもつがぬ短兵急、又も切り込む一刀両断御面の声に憐れなるか敵の首、天晴なるかな福間氏!!

次で同じく西に野村氏出づ、若年なれど燕返しの昔思はるる、電光石火の早わざに、一同あッと感に入る、見よ、見よ、尖き切先は水もたまらぬ切れあじなり、山陰に育ちにし牡鹿の逸する容にて、すきまも有せぬ声の下に御面の声の一声高く叫ばれて、したりや応の声の下、またも打ち出す大刀風に、刃向ふものも夏草や甲斐なくも切り靡かされて、斃れたり。

間もなく又出しは本校の驍将吉木氏、鞭声呼叱川霧の中をぬッと出でにし謙信が面目をさながらに、波浪岩を噛んで千丈のかさに懸ッて攻めたつる、なにかは堪へむ、太閤が旗下と誇らば誇れ大阪武者一潟千里特急の御突!斯くて敵の手元次第に乱れ、働き兼て見えたる折から、此人にして、これありと四面に響く御胴の声、我県中又もや勝てり。