遠洋航海通信の4

この頃無線(モールス信号)はあっても、天気図はなし?
司馬遼太郎坂の上の雲」の時代です。
毎日正午に太陽の位置をはかって羅針盤で航海している頃のはなしです。
一喜一憂、陸を見たいという心持ちはいかばかり。

翌20日より愈帆走に移り揺られ揺られて太平洋の真中に相向申候。
激浪可翻風可狂、浩歌笑向太平洋
別存運用操帆術、北海南溟総我郷
航海中は見渡す限り水と天とに有之恰も盥の中に居る心地し一向太洋の中に居る様に無之時々航路図を出し見ては嗚呼太平洋の真中に居るかと驚くのみ、航海中は概して天候適順にして幸にあとかへりもせずに相済ミ申候。

艦にては毎日正午に太陽を窺ひ緯経度を計算いたし今日は三度いった明日ハ四度行くだろうと楽ミ居り候、昨日二十五日及本月十二日、十五六日と三度颱風に出偶ひ随分困難いたし候。併し高緯度の地に候へば颱風の性質も正則に無之十五日の正午に颱風の中心を経過いたし候へども案外に有之候。

されど艦体四十二度も傾斜いたし候へば当時の模様も御察し可有之候波が甲板を越ゆるのは一向平気なものに候出国以来弱き先生達はペタペタに弱り居り候。此邊は暖流の為めか割合に暖かく感じ申候、

百八十度の子午線は四月八日に経過いたし候、されば八日といふ日が二日続き申候、此子午線前後五六日は名高き「アリューシアンアイランド」の大霧にて一寸先は暗の夜に有之閉口いたし候、

二十四五日頃に相成候へば天候は大分暖かに相成気候も何となく大陸近く覚え殊に二十五日正午の天測によれば「バンクーバー」の水道まで百二十里に有之候へば人々大陸を望むの情抑へ難く二十五日の夕頃より皆々甲板に出で頻りに眼を張りて彼方を眺め居り候、