遠洋航海通信の5

いよいよカナダのバンクーバーに到着、この頃はまだ英国領の時代でしたか。
そして、ここを出港して合衆国領にはいります。第二次世界大戦で敵味方に分かれようとは誰も考えもしない時代のことです。日本人会の組織も盛んに活動している由。

八時十五分艦首に声あり左舷艦首に自燈を認むと馳せ至れば即ち白光の水線に出没するものあり
衆皆曰く「ケープフラッタリー」の燈光か我の着する正に明朝にあらむ愉快なる哉、と航海長独り笑へらく惑ふ勿れ汽船の舷燈たるを知らずや艦脚如何に早しといへども何ぞ「フラッタリー」を見るを得んやと言未だ終らず光忽ち消ゆ衆皆曰くオヤオヤ

二十六日午前一時始めて「フラッタリー」の岬燈を見る即ち直ちに我針路を正して「バンクーバー」水道に向ふ
水道は「バンクーバー」島と大陸との間に有之候巾十五海里計両岸の怪岩参差突出し「アメリカンパイン」(注 パイン= pine「松」)青々として其上に繁り風色絶佳快限なく四十日の旅疲一朝にして癒ゆ


午後二時エスクワイモルト軍港に投錨す本港は英国太平洋艦隊の根拠地に有之造船所等有之候、加奈太の首府「ビクトリヤ」は本港の北四哩にして政廳博物館公園仲々立派に候、在市の日本人は三百人も有之候へども多くは哀れ千万の境遇に有之途中にて御辞儀さるる身が気の毒の事も有之候、


五月二日朝惜しき名残を留めて本港を発し六日合衆国「シャトル」港に入り申候

本港は御存じの如く日本よりの最近航路点にて日本との関係も深く日本人の数も多く且日米中日本人の信用ある事本港に如くはなしとの事に候、「タコヌ」には領事として文学士林曹六氏あれども本港には染分といふ書記生あるのみ


市街は「ヴ井クリヤ」より不潔なれども大にして人口七万余あり
郵船会社の旅順丸及び佐倉丸も入港いたし居り「シャトル」港頭日章旗翻々として愉快至極なり、本港は新開の都会にて各地方人の集合なれば人情余り厚からざるが如く紳士の品格あるものも少なきが如し併し生計に余裕ある訳にてか此地子たる詐欺者少き由に候されど青年の不品行は甚だしく候