遠洋航海通信の6

娼婦や日本からの鉄道労働者の記述あたりに関しては、バランスをとるために小林多喜二の「蟹工船」を読んでみると良いかもしれません。なにしろこの文の作者は、保守体制側のよいところのお坊ちゃんという立場で書いていますから。
外国人労働者がいかに劣悪な労働条件で労働する事になるか、そして現地の労働者が職場を奪われる事で憎悪を募らせるという構図は時代や場所を問わないということを認識しておくべき事でしょう。
だれも喜んで異国の娼婦になんぞなりたくはない。

しかし、この時代まだ自称「ペルリの秘書」という人物が生きていても不思議でない時代なのですねえ。

私娼の害は公娼の弊に倍しとて「アメリカ」の一紳士大に慨歎罷在候、此紳士は今「シャトル」の片田舎に住し本年六十余才の老地主なるが彼の「ペルリ」来航の際其秘書たりし男に候て頗る東洋の事情に通じ其議論仲々面白く我等に取りて實に意外の珍客に有之候


本港の日本人は団結力に乏しく日本人会の設もなし日本醜業婦六十名もありて日本人の名を辱かしむる事甚し、偶気節ある日本人の大に憤慨して之を排斥せむとすれば醜業婦の頭は先をきりて商売の資本とせる日本商人は裏にまもりてこれに反抗するものありといふ具合にて随分呆れ返った話も有之由に候、

日本労働者の鉄道工事に従ひて市外にあるもの一千二百人其日給一弗日曜日は業を休み月二十六弗中六弗を食費に払ひて月二十弗即ち四十円の収入ある由なり、されど彼等は目に一丁字なく只金もうけに汲々とし其の白人に嫌はるる一日にあらず、因に記す白人の労働者一日給金三弗を下るもの稀なりと


「タコマ」は土地の古きだけありて人情敦厚に人間にも亦品格ある様に候商業は漸時「シャトル」に奪はれ余り活発にはあらず、されど北太平洋鉄道会社の本局此処にあり、在市の日本人にも気節あるもの多く強固なる日本人会を組織し悉く醜業婦を退け職務に勤勉にして学業に励み加ふるに先年支那人は退けられたるを以て日本人の信用厚く西海岸中恐くは第一なるべし、


されば本艦の乗員も此地にては甚だ厚遇され商業会議所専ら斡旋の労を執り其書記長にして仏国名誉領事たる「フェリー」氏の如きは日夕出入して便宜を計りくれ申候、
市人も途に会へば Harrow(ヤー)と声かけ三四日立つ内には Harrow How are you?(ヤー ドーラスカ)といふ様に相成気持よく覚え候「マウントタコマ」は「タコマ」第一の風色にて高さは不二の上に出で白雪皚々たる円錐形山にて麗しく「タコマ不二」とでも可申候日本領事館の憐れなるは今更にて「シャトル」の分館はホテルの三階二間「タコマ」の本館は北太平洋鉄道会社の三階三間にして国旗も上げ居らず無念至極ならずや


シャトル」及び「タマコ」共に一個の「ハイスクール」及十数個の「グランマー、スクール」有之候「グランマースクール」は即ち小学にして八年「ハイスクール」は即ち中学にして四年それより大学に入る由に候


大学は日本の高等学校の工学部法学部の様なるものに候学生の子供らしき事意外に候中に小学生徒の無邪気にし
て無遠慮なる仲々愉快にて交際は達者に辞令に巧なる、時間と約束とを守る事固きは感心に候彼等は軍艦を公園
の如く思ひ居るものから毎日用ある毎に遊びに来り日本の切手、日本の錦絵を喜び快談して帰り申候