7号の雑報の1

ちょっと忙しいのでお茶を濁す

美辞麗句かくのごとし。
しかしこの時代、現在のように教頭や校長になるために「資格試験」というものがあったのでしょうか?
それにしても、遠方に転勤されて大変です。

1.1 児玉教頭及ひ横山、中村、清水、鹿野、並河の六先生を送る

亀田山頭翠緑とこしはへに、碧雲湖畔春波漣?たり。不言不語の中、誰か無量の感慨なからむやは。嗚呼。吾等は、多年敬愛すること、父母も啻ならざりし、六先生を失ふこととはなりぬ。

先に花笑ひ鳥歌はむとする頃、児玉教頭は、県立第三中学校長に栄転し給ひて、我校を辞せられ、いまだ袖の涙乾く隙もなきに、又もや横山、中村、清水、鹿野、並河の諸先生は、或は伊勢に、能登に、東京に、加賀に、遠く去り給ひぬ。


吾等の驚愕、悲嘆、そも何にかたとへむ。想ふ、そのかみ、各先生等の、八雲たつてふ出雲路わけて、来任せられしより、この方、雨の旦も雪の夕も、ひたすら、吾等を訓諭提斯し、励精勤務、終始其軌を一にし、以て我校の隆盛を資けられし事、洵に少しとせず、且つや深く、吾等青衿子の元気興奮に、志給ひては、躬ら本会運動部長の重任に当り、或は撃剣部長に、将た、雑誌部副部長の大任を負ひ、孜々として、奨励策を講じ給ひければ、本会の事業も、長大足の進歩をなし、運動の気運は、早くも我等の裡に燃え、炎々、遂に県下斯界の覇を称し、西は濱田中学に、東は久松城下に、遠くは京都武徳会に出征して、正々堂々、戦へば必ず克ち、攻むれば必ず取り、山陰八道敵するものなく、赫々たる金冠は、天上より落ち来りて、我校旗に輝きぬ。


嗚呼、多年一日の如く、諄々として教へて倦み給はさる、学徳倶に高き諸先生あるに非ずんば安ぞ能く此に至らむ。今や遠く距りて、朝夕其の玉容に接せず、徒に城見が岡の学窓に、昔を忍ぶのみ。吾等は、千鳥の城の千代かけて、しむぢの湖の深からむかぎり万代までも、先生等の高風を仰がむ。