2号 発火演習

現在の大庭町(おおばーちょう)は、住宅地。市街から少し離れていますが、やはり町中です。
のちにこのあたりに軍隊の駐屯兵舎・練兵場?がおかれ、現在その敷地は県立松江工業高校になっている筈です。
ほかの記事に「うさぎ狩り」をしに行ったというものがありますから、その当時は山野だったのでしょう。400名の学生が田畑を踏んで良いのかと思ったら、当然の事乍ら2月ですから農閑期ですね。

5.11 発火演習
(2号 92頁〜93頁)
2月28日、大庭村付近に於て発火演習の挙あり。生徒総数400余名、分つて三中隊となし、三年以上は例によって武装せり。かくて午前八時、歩武整々校門を出で、床几山上に至りて停止休憩するや、太田中隊長は防御軍(南軍)に将として先づ発す。暫くにして小島中隊長は攻撃軍(北軍)の総勢を路上に整列せしめて一般方略を述べ、又各小隊長に向つて、こまやかに作戦の方法について告示する所あり、やがて第一小隊を前衛として先づ発せしむ。


前衛は更に尖兵を派して沿道を警戒しつつ徐々として進む。暫くにして路の右側鬱葱たる竹藪裡に当つて一発の銃声を聞くや、二発三発相踵いで起り、幾もなくして復た息む。是れ明かに両斥候の衝突を示すもの、此銃声は恰かも電気の如く北軍を刺激して、一軍の態度、巌益巌を加へ、簫益簫えお加へ、伝令の往来頓に頻繁となり、斥候暗号しきりに急を告げ、暗怛たる殺気は今や此の静寂なる山村の上に浮動しつつあり。


既にして北軍前衛の一部、息まき進むよと見れば、忽然として又数発の銃声轟く。之より両軍の士気愈々振ひ、射撃又射撃、南軍よく防ぎて容易に郤かす。銃声轟々山谷を撼かし、硝煙漠々林樹を蔽ふ。忽ち見る、北軍の左翼、人参畠のほとりに、白煙の潮の如く渦き揚がると共に、雷の如き銃声の一斉に起るを。


南軍不意を撃たれて勢少しく沮む。かくと見るより此方は愈々射撃を急にして、横さまに之を襲ひ、右翼も亦殊力を竭くして攻撃太だ努むるに、南軍遂に支ふる能はず、次第に退却を始む。北軍勢に乗じて愈々進み愈々逼り、二三の部落、四五林藪を乗り越えて、茫々たる山畠の彼方、矮樹扶疎たる丘上に南軍の屯せるを明かに望見し得る所に出づるや、直に全軍を展開して之に向かひ、一挙に其本城を抜かんとす。会々大雨沛然として至り、空濛呎尺を弁ぜず。


雨滴の大さ礫の如きもの、横さまに人面を打って痛きこと甚だしく、其の帽廂より滴下するもの、眼に入り襟を伝ひ、須臾にして渾身水なるに拘らず、両軍毫も沮むの色なく、銃声益々猛烈を加へて、喧噪囂殆ど耳を聾せんとす。此時、北軍大に勇を鼓して濛々たる硝煙中馳突し、丘の半腹より吶喊の声も○と、肉薄して将に南軍の本営を抜くかんととするや、喨々たる休戦の喇叭は血を帯びて山谷に反響せり。


演習茲に終はる。乃ち一民舎に就いて昼食をなし、湿衣を乾かしなどすること良久、午後一時、此を発して帰途にのぼる。時に煙雨霏々として且つ降り且つ止み、道は黄泥となりて滑かなる油を流したる如くなれば、衆、小心翼々、鷺歩して僅に顛覆するを免るるのみ。其困難実に言語に絶す。途に、床几山上に於て又一回の演習をなししが、之が記事はくだくだしければ略す。帰校せしは午彼3時半。