7号 野球大会の3

大体どれくらいの年齢で入学するかは失念いたしましたが、不規則な部分もあったかと思います。それでも1年と5年ではこの年頃では相当の身体のつくりには相当の開きがあったことでしょう。言ってみれば今の高等専門学校、中学卒業から短大まで五年に相当すると思えばよくわかりますね。卒業するころには結構おっさん顔で髯ボウボウ?
それは冗談としてもこの頃一般庶民に「野球用のゴムボール」が普通に手に入る状態かどうかも考えます。ボールがなければ子供もそれで遊べるわけもなく、中学に入ってから始めるということだったかもしれません。普通の庶民はこの歳なら働きに出ていたでしょうからそんなスポーツどころではなかったか。
徴兵制が確固とした機能を発揮している時代です。ゆえに運動系が勝ち組の時代風潮。身体鍛錬の気風で現在と比べては基礎体力は格段にあったことでしょう。突然野球の世界に放り込まれて彼等はどんなプレーをやっていたかしらと考えを馳せてみるのも一興。
どうも観る所、走塁王もいたらしい…

5.2.2 五二連合軍対四三連合軍試合

      白軍(5、2) 紅軍(4、3)
P  春木 節郎 5年  片山 篤郎
C  松林 朗 5    川角 敏
SS  松井 節    米原 常一 3年
1B  山川 俊雄 5   小畑 義行
2B  岩田 知締   三島 盛之助
3B  島谷 清見  山本 清
RF  千家 松麿  石原 正治
CF  濱田 秀太郎 5年 廣江 兵一 3
LF  武良 定雄  尾関 才吉 3


皐月の10日健気にも4、3の若武者、5年の老将を破らむとして戦を挑みぬ、あな笑止やな仮令へ老ぼれと侮らるるも、嘗ては千鳥城下の戦場に血雨を振らし、久松城下の御殿原を破り、其他数度の戦に、刀創槍創を数知れず受けし、手剛き面々、いで若者の荒胆をひんぬき呉れんすとて、午後2時頃二本松の戦場に攻めさせぬ。
第1回落ちつき払いし5年の老将は、敵に3点を得させつざるを4、3の若殿原、こおこそ敵の弱点なれと思ひつめしぞあはれなるぞすがは老将の面々敵に油断をさづけて敵の短所を知る。是れ勝敗の期する所、ここ第2回 は老将長駆して三敵の本塁を突く、赤辛じて1点。其後老将の勇しき武者振り、さすがは数度の戦に塵埃を蹴立てて一番槍を名乗り出でし剛の者ども、6回に二騎、七回に一騎、敵の虚を突いて本城に攻め入りぬ。4、3の軍勢意気上らず、老将の射たつる矢数をおかし、辛じて一の木戸迄至りしものは、駒に痛手を受け、幸にして二の木戸迄達するも、皆ここに射倒されて三の木戸迄はえ攻め入らず、手傷死傷算を乱し生き残るも中々に本塁をおとさざりけり。総ずる所老将の6+ x に対する4点とは、やや天狗に近き鼻とこそ云ふべけれ。全文筆の走りに老将を賞む、真平真平。

就中第二回片山のグラウンダー砂風大地を巻いて LF-CF を抜けしは見物なりき。松井二塁を陥し入れんとして野心勃々たれど、P の慧眼を恐れて出でやらず、辛くも小心翼々として一塁を走るや、C の眼光一閃、遂に松井があえなく二塁の塵と消えしは痛快、此の戦中、松林老将のランニングは、特に記すべきものにして、氏の出づるや須臾にして帰る其の敵塁をはふる恰も猫の鼠を追ふが如し。されど其の行為たるや、寧ろアドベンチュアーに近きなり。野次馬評して曰く「また松林?命知ず」!!!