4号 付録 連合野球試合

先日書き起こした、山口高校生?にお願いして参加してもらい開催した試合の報告です。まずは2回までの攻防を。
よく考えたら修学旅行のルートとすれば山口の盆地から萩往還を通って山越え日本海へ、日本海伝いに益田まで来てそれから船かなと。ほかには山口から徳佐の高原を越えて津和野から日原、益田へ抜ける。現在の道筋ではこんな感じか。
出雲には直接稲佐の浜あたりなら出雲大社目前、北前船などの周航港ならば「うりゅう」や「うさぎ」に就いて一島根半島の山越えればもう大社の背後。そこから出雲平野を東進、宍道湖に出て多分ここからは汽船が出ているかと。あるいは大社サン詣りの道が整備されています。などということを、証拠もなく適当に考える。
この頃の野球用語、なるほどという感じであります。

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付録 連合野球試合
連合野球練習試合   野球狂

心なき春草龍○虎争の跡を封するもの2回、而も城南の健児、捲土重来の勇なく、髀裏肉徒らに生じて鞍壷また叩かむによしなし、江陰半壁の地に拠りて蝸角の○触を学ばんよりも、若かず懸軍長躯図南の壮志を遂げん○○と、千鳥城下、球飛ひバット舞はざるの日なし。会、山口高等学校の学生修学旅行を出雲に試むるの報あり。思へらく、山口の勇士とさきに一たひ筑博の野に龍南の健児に破られ、ニたひ報讐の檄を飛ばして彼等をしてまた起つ能なざらしめたるもの、連合試合を試み、かねて校際試合の心得を聞くを得ば、造詣するところ蓋し鮮少ならざるべしと。果然5月1日該校生は来松せり。交渉の末、同日午後2時より二の丸のグラウンドに練習的ドローン、ゲーム(5インニングス)を行ふに決す。遠来の疲労を以てなほかつ此快諾を受く、好意多謝するに堪へたり。

職掌を攻撃順序に随ひて記せば左の如し。
投手     中村
取手     濱田
一塁     青戸
二塁     足立
三塁     和田
遊撃     西田
右翼     森本
中堅     河合
左翼     安松


投手     宇田川
取手     松林
一塁     生田(山高)
二塁     坪井(山高)
三塁     紀藤(山高)
遊撃     三ツ巻(山高)
右翼     玉木
中堅     勝部
左翼     西村

此試合もと練習を目的とせるもの、勝敗固より意に介せざる所なるも、しかも関西の覇者と図南健児との連合との連合試合の経過、自ら未熟の士が刮目すべきものありて存せむ。ああ龍虎相搏つ、雲とならむか、将た雨か。

経過
第1圍 白軍攻め、紅軍守る。

陣頭にあらはれしは中村氏なり、宇田川投手の繰出す熱球もものかはとバット一揮フライ右翼を襲ふや、先年福陵に五高軍と戦って英名を轟かしたる坪井氏、以下で見逃すべき、疾走数間、取ったの一声裡に中村氏先づ斃れ、濱田氏又フライを三塁守将紀藤氏に獲られて死し、青戸氏二塁にゴロを走らしたれど、復もや坪井氏の為めに一塁に斃れ、白軍得る所無。

乃ち守地を易へて紅軍代り攻む。ボックスに立ちしは紅の主将宇田川氏、弱フライを投手に呈して復斃を、松林氏三塁にゴロを走らして和田氏の為めに一塁に屠ルらる、次ぎにあらはれしは身長六尺の大兵\footnote{1尺=約30センチ}、これは山高に其人ありとしられたる生田将軍、中村氏の熱球を得たりと長棍一揮、球が砂を捲いて二塁と三塁の間を貫き、無事一塁を陥る。次で坪井氏飛球を左翼守将の後方に打ちて出で、生田氏本塁に還り、紀藤氏出で球を一塁に呈して死し、坪井氏三塁にスタンデイングとなり、収むる所一点。

第二圍

白の守将足立氏飛球を一塁の後方に打つて出で、和田氏一塁と二塁の間にゴロを走らして一塁に入り、西田氏又右翼を襲ひ一塁にさされしを、足立氏生還するを得たり。森本氏三度振に死し、河合氏又右翼を襲うて出で、和田氏本塁に還り、安松市ゴロを左翼に打ちしが、左翼守将西村氏もさるもの、取る手も早く球を一塁に投じ、間一髪、安松氏を一塁に殺せし手練にチェストの声も野次隊中に聞えたり、白軍の得る所二点。
紅軍代り攻む。三ツ巻氏先づスリイ、ストライクスに斃れて得る所皆無。